2015年10月28日水曜日

2015年10月21日、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と私

2015年10月21日は、かの映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』で設定された未来の一日だということで、ニュースにもなった。
1985年公開の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は、当時アメリカでフューチャー現象と呼ばれるくらいブームを巻き起こし、日本でもとくにPART2(1989年)は大ヒットを記録した。
今回も、アメリカでは10月21日の劇中のその時間にピタリとあうように映画を流しはじめるイベントが、いくつもの映画館であったそうだ。

私は「PART2」が公開された1989年当時、小学6年生だった。かつて綾瀬市の子供にとっては遠かった藤沢市のオデオン座まで、親友と電車に乗って観に行ったのを覚えている。とても面白かったが、未来と現在・過去を行き来する複雑な話は難しく感じた。その難しさがまた嬉しかった。友人は、映画タイトルからしてうまく言えずにいた。


そして現実に未来になった、先日10月21日。
ネット上のニュースには、劇中に描かれた未来技術がけっこう実現しているとか、まだ車は空を飛ばないとかいうことが載っていた。
また当日のテレビニュースでは、トヨタの水素自動車「ミライ」が米国での発売開始をその日にしたり、映画とマッチしたCMをつくったり、ガルウィングタイプの車も1台造ったりして、話題の日に便乗する宣伝戦略を繰り広げたとあった。お台場のフジテレビ前にはタイムマシンのデロリアンが来て、野球選手が乗ったりするイベントがあったようだ。

ここ沖縄では、あまり湧いていない。(レンタル店のバック・トゥ・ザ・フューチャー特設コーナーのDVDも、当日でさえ全作余っていた!)
デロリアンがライカムの映画館に来ていたらしいが、それは9月中旬のことである。気が付かなかった。きっと東京に未来当日出現するために、早めに来て、すぐに行ってしまったのだろう。

だが、私のなかではかなり沸いていた。本当にあの未来になってしまったのだから。
数日前に1・2・3と連作全部のDVDを借りてきておいて、当日にあわせて妻と息子と見ようと計画した。
大人から子供まで心から楽しめる映画が、いったいどれほどあるだろうか?
この映画はその稀有な存在である。多少コミカルすぎるが、何度見ても楽しい。古めかしい特撮が古めいて見えない。

私は時間まで劇中と合わせて映画を見るほどミーハーではないものの、アンチミーハーの堅物だった少年時代に比べると、その反動のためか、中年の今は随分だらしのないミーハーになってしまっている。
この日、もうすぐ生まれる子供のために、車に貼る「BABY IN THE CAR」ステッカーを買った。「BACK TO THE FUTURE」のロゴのアレンジ版だ。
帰って、「1000円もしちゃったけど、面白いだろう?」と私は得意げに妻に見せた。

ところが・・・このように、3日くらい気持ちがバック・トゥ・ザ・フューチャー漬けになっていた私に、妊婦の妻はブチ切れてしまった。

「映画とか遊ぶことばっかり考えててっ!」

久しぶりに怒られた。
なにも10月21日未来当日に夫婦喧嘩をおこすことはないのに、と私はむかっ腹が立ち、また心身ともにしょげて、夜な夜な車で家を出た。
夜の運転は、どこかデロリアンに乗っているように感じられた。
考えてみれば、主人公のガールフレンドは、未来のみじめな家庭生活を垣間見て、失神してしまったではないか。
息子や娘は不出来だったし、主人公は会社を解雇されてしまい、パッとしない人生を寂しく歩んでいた。便利になった生活様式が、幸せに結びついておらず、奇怪なくらい無駄である。

現実の私の2015年10月21日は、・・・変な意味で、どこか劇中とマッチしている。私はひとり苦笑した。
本屋に行き、30thアニバーサリー本『バック・トゥ・ザ・フューチャー完全大図鑑』をうさばらしに買った。
それさえも、まるで「PART2」の悪役が手にした未来の本(スポーツ年鑑)とダブって見えた。
我ながらこりゃ重症だ、と反省しながら家に帰ったのだった。


それから、気を取り直して、家族3人で「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3」を見た。
(「PART2」は、ワガママ息子の要望に圧されて一日前に見てしまっていた。)
「PART3」も、皆様御存知でも改めて言わせてもらうが、非常に面白かった。
妻が完全に機嫌をなおしたほど、楽しい映画だった。
4歳の息子は、ミニカーを飛ばす真似をしながら部屋中を歩き回っていた。
見終えてすぐ、しとしとと雨が降りだした。まさに「PART2」のラストのようだった。

こうして、2015年10月21日――私は映画のちからを見せつけられて、心嬉しい気分で床についた。


***

布団の中で、1点だけこの映画に難癖をつけていた。
1885年にタイムスリップした主人公や博士は、西部の酒場でショットグラスでウイスキーを飲んだ。
だが、ショットグラスがアメリカにおいて一般に広まるのは1933年、禁酒法解禁の前後のことである。1940年代以前のショットグラスは極めて稀といわれる。西部劇の酒場で使われるグラスは、ふつうはもっと広口で大きめグラスのはずだ(前回のブログを読んで欲しい。)
・・・と、未来人から時代考証にそっとひと撃ち(ショット)しておく。