2016年6月26日日曜日

雷が落ちた

昨6月25日の晩、宵闇の南のベランダに出て、遠く海の上に黒々とそびえる積乱雲が時折きらめくのを、七ヶ月の二男と見ていた。
梅雨があけたとはいえ空気は湿って生ぬるい。

2、3週間ほど前の事、ひどい雷鳴の夜があって、深夜12時を回った頃、一発が近所に落ちた。雷光とともにバーン!という凄まじい音がした。私はとっさに南の窓を開けて外をみた。妻は北側のカーテンを開け「こっちよ。青い稲光が見えた!」と言った。僕は「こっちだよ」と譲らなかった。

翌日、会う約束をしていた5歳の長男の友達のママが、「うちに雷が落ちちゃって」と妻にメールをよこした。長男の友達の家は、うちから200mほど西にある。
詳しくいえば、その雷は平屋建て鉄筋コンクリート製のその家のアンテナを直撃、アンテナは大破し、ほかテレビ・パソコン・インターフォン・3つの電灯が壊れたという。「もう寝てたんだけど、爆弾が落ちたのかと思った。そのまま寝たんだけど」とのんきに構えて明るいのが素晴らしい。黄色いクレーン車が来てアンテナを取り替えていたが、気の毒なことに、テレビなど家にくっついていない機器については火災保険が効かないらしい。
「いいの、子どもたちがテレビばっかり見てるから、テレビなんて壊れればいいのに、ってホントに思ってたから」と奥さんはとにかく明るかった。

それにしても雷が自宅に落ちるなんて、何という低確率の経験であろうか。
不思議なのは、その真隣の3階建ての家に落ちずに、ずっと低い平屋の友人宅に雷が落ちたことだ。僕は、(テレビなんか壊れればいいのに)と奥さんが思っていたから落ちたのではないか、とつい非科学的なことを思ってしまった。

昨晩もそんなことを思い出しながら、遠くの雲の中の雷光を眺めていた。遥か遠方で音は聞こえない。巨大な電球のようで美しかった。
暗がりの中、赤子が僕の瞳を間近から見つめてきた。僕は、(まさか我々に雷が落ちるなどということはないよ)と見つめ返した。が、友人宅は低い場所でも落ちたのだからと思うと急に不安になって、室内に入った。
やがて、雨粒が落ちてきた。
雷も聞こえ始めた。
僕は妻に、「もし雷が落ちてこのテレビが壊れたら、俺は泣くよ」と言った。
長男は昨日から40度の高熱が続いていて寝ていた。
妻も風邪がうつったらしく、頭が痛いと言って早くに床に入った。
やがて赤ん坊も眠った。
なぜかとても寝苦しい夜だった。

 ※

今朝。長男が第一声で「熱が下がった!」と叫びながら元気に起きてきた。だが、子どもが楽しみにしていた「仮面ライダーゴースト」はなぜか録画できていなかった。なぜだろうと訝しみながら、代わりに、借りてきてある「ドラゴンボール」のDVDを見せた。昔のアニメは面白い。
妻が、「給湯器が動かないの」と困った顔をしていった。
僕が不動産屋に電話をかけると、今日は日曜で対応は明日になる、と休日受付の係員が応えたちょうどそのタイミングでドアベルが鳴り、不動産屋のお兄さんが来訪したのである。

「テレビ、映りませんよね?」
「そうですか? それより、給湯器が燃焼しないんです」

DVDを見ていたため気づかなかったが、たしかにテレビ番組も映らない。
不動産屋のお兄さんは、凛々しい眼差しをしてこう言った。
「どうやらこのマンションのアンテナに、昨日の夜、雷が落ちたんですね」

妻は、そういえば昨日の夜中の雷は尋常じゃなかったと言う。
僕は気がつかなかったと言うと、
「何言ってるの? その瞬間に飛び起きて、カーテン開けて見てたじゃない」
という。覚えていない。妻の話では、「雷というよりも、地球を巨大なハエ叩きでぶったたいて、映画の水爆実験みたいに余波が広がってしばらく音が残るみたいに、尋常じゃない大きな音だったよ」とのこと。
僕は覚えていないから分からないが、とにかくこのマンションを含め、昨晩糸満市で3軒の落雷があったのだそうだ。

とにかく、モノが壊れなくてよかった。
「テレビ壊れたら俺は泣いちゃう、って言ってたもんね」と妻は笑った。
給湯器が作動しないのは、マンション共同の水道加圧器のブレーカーが落ちていただけのことで、すぐに復旧した。
マンションのテレビアンテナはダメだったようだが、とくに見るべき番組もない。ニュースだって、一昨日のイギリスEU離脱を超えるほどのものはないであろう。
そうか、だから今朝「仮面ライダー」が録れていなかったんだな、と納得してすっきりした。


2016年6月16日木曜日

読書メモ(20160615)

国家と「私」の行方』(松岡正剛、春秋社、2015)という2巻本のうち1巻めを読んだ。
副題に“18歳から考える/――セイゴオ先生が語る歴史的現在”とあって、内容をさらりといえば、知識人である著者が日本史を世界史に色濃く絡むものとしてわかりやすく組み直して語り、そこに文化的・思想的知識をからめつつ、日本人一個人のあり方を検討するというもの。素晴らしい本で大変勉強になる。

高校・大学生向けにかみくだいてあるので読みやすい文章ながら話は奥深い。もちろん所々単純化しすぎたり、感情論で書き進める部分があるのは否めないものの、少なくとも私の学生時代にこういう類の本はなかったと思う。極めてダイナミックな視点で、正直な歴史観で日本史と世界史を分かりやすく見据えてある。

2010年代は恵まれた時代で、こういった本はどんどん出てきている。
たとえば一昨日、赤嶺イオンの本屋で『最速で身につく世界史』という新書本をざっと立ち読みをした(角田陽一郎、アスコム、2015/“「24のキーワード」でまるわかり! ”の副題)。
こちらはテレビマンが書いた歴史読本で、同じように教科書・参考書では掴み取れない骨格を、よみやすく鮮やかに説明してみせてあった。


ところで、前者の松岡正剛氏は1970年代から影に日向に活躍し続けている編集者・執筆家で著書多数、日本の“発信する”タイプの知識人としてはトップの人物だ、と私は目している。他人と比較してはアレなのだが、池上彰や佐藤優や立花隆ほか日本を代表するといっても過言ではないような発信型知識人を思い描いてみても、彼らよりずっと上をいっていると私は思う。上をいっているのは何についてかというと、編集表現システムの構築、扱う分野の広範さ、読者対象の幅広さ、彼個人の人間表現としての自由度、発信メディアの活用度、自身の著作の多さ、知識人著名人との交友の多さ、成果としての社会的影響力などだ。これらは本当に物凄いことだと私は驚嘆している。

もちろんこれらの圧倒的要素には裏面もある。
編集表現システムの構築→引用過多となり、研究考察の土台部分を自身では作り得ないこと。
扱う分野の広範さ→話の筋がいつも散漫になる。
読者対象の幅広さ→話が単純化されがちになる。
彼個人の人間表現としての自由度の高さ→感情論になることもあり万人受けはしないし、ときにナルシシズム全開になる。
知識人著名人との交友の多さ→八方美人になり宣伝的になる。

結果これらは胡散臭い部分をも提示してしまっているだろう。
しかしそれでも、だ。この人の仕事は量・質・内容とも凄い。
なんといっても一読をお薦めするのは、濃厚なるブックガイド・ブログ『千夜千冊』である。もしご存じなければ、ぜひご自身の興味ある分野の項を試し読みしていただきたい。
1600回を超えた今も続くこの長大な図書案内ブログを、私は全読破にむけて挑戦しているけれど、今のテンポでは通読するだけで5年はかかりそうだ。なにせ理系文系を縦横無尽に渡り歩きながら、ひとつひとつの記事が長く重い。

松岡正剛についてちょっと不思議なのは、超有名人なのに私の友人にその名を知っている人が全然いないことだ。松岡氏は国内外の数多くの並ならぬ著名人たちと面識をもち、公的機関の企画も担当し、ベストセラーもロングセラーもいくつか執筆し、自分で作った編集学校の校長兼講師を勤めるとかで、当然ながら有名なのだ。かなりの著名人だからテレビにもたまに出る(この間はNHK「日曜美術館」のカラヴァッジョの解説にひょっこりゲストで出てきた)。それなのに、私の友人に松岡正剛の名を知っている人が全然いない。いつもこれは不思議におもう。

さっきの松岡正剛著『国家と「私」の行方』』の話に戻るが、この本では歴史理解の方法として「インタースコア」という編集術の姿勢を採用している。わかりにくいカタカナ語だが、これは彼独特の編集術の要で、「歴史や事件や現象や文化を、さまざまに比較投影しながら見るという方法」(25ページ)とのこと。私のイメージでは「個別情報同士に含まれる共通項での串刺し再編集」というような感じだ。
例をあげれば単純なことだが、たとえば江戸時代の成立を理解しようとするなら、日本で徳川江戸時代が始まった頃の、西洋ではなにがあったか、中国では、と見ていく。これをただの比較列挙で終わらせない。政治も文化もミクロとマクロを往復しながら見事に脈絡づけられ、史実の相互関連性への比重を大きくし、歴史を再編集する。
読むと(どうして高校や大学の日本史では誰もこうやって教えてくれなかったんだ!)と思うくらい説得力がある。
説明が「正直で直接的」なところが、今までの歴史解説と違う。
いくつか私がはっとした部分を以下に抜書きしてみるけれど、内容は、人口に膾炙した一般的な情報が述べられており、奇異なものはない。けれど、その切り口・語り口・解釈が確かに新しい。彼のいう「編集力」が効いている。

・西洋を後追いせざるを得なくなった明治日本の奮闘をざっとみてから、同じ19世紀頃のヨーロッパではどうだったのかをざっくり比較してその歴史を検討し、
「これでわかるように、イギリスもフランスも日本が真似るにはあまりにもスケールの大きい大工事・大博打をしているのです。明治日本とはスケールが桁ちがいですし、その野望もバカでかい。作戦も緻密です。このことは、すでに幕末にイギリス公使パークスやフランス公使ロッシュが、ほとんど一人で幕府と薩長を動かしていたことを見れば、よく実感できるだろうと思います。相手は一人、日本は100人、1000人です」(225ページ)

・なぜ黒船は日本に来たのか、ということを理解するのに、まず江戸末期の日本を眺めて、つぎにイギリス、フランス、ドイツ、ロシアの政情をみて、その影響からアメリカの動きの必然性をみて、アメリカの日本開国を迫る戦略があって、
「日本はあきらかに狙われたのです。」「日本の教科書にもそろそろそう書くべきです。」(234ページ)
とくる。
つづけて列強のアジア進出(アヘン戦争を皮切りに)や、黒船が半世紀にわたって何十回も来ていた情報などが説明される。

読めば、黒船到来が単に鯨油・水の調達やら通商やらといった理由だけで来たというような理解はまずできなくなる。ジョン万次郎が(私の住んでいる)沖縄南端に辿り着いたことも、大黒屋光太夫がラックスマンに送り届けられたことも(井上靖の小説「おろしや国酔夢譚」に詳しい)、ただ「来たんだな~」などとはまず思えなくなるだろう。
ぜんぶ繋がってしまい、それは半ば歴史の必然と分かる。

だからといって、松岡正剛は運命論者ではないし歴史学者でもない。明治政府の日清・日露戦争に当然の流れのように進んでいく歴史を解説しながら、必然としておさめずにクエスチョンマークを残す。その論調が彼の魅力であり、新しさであり、正直さであり、あるいは危うさなのだ。


・・・なんだか読書メモが長くなりすぎた。
『国家と「私」の行方』と別の、もう一冊、テレビ番組構成作家の角田氏『最速で身につく世界史』も、自由な視座で歴史を語るのは、「現代史で今を語りにくいのは、未来を語らねばならないから」として、未来予測をいくつかつけていたりするところだろう。面白い。
彼の解説(の私のうろ覚え)によれば、いま世界中で右傾化や暴力的傾向が強くなっているのは、再帝国主義の時代が到来しているからなのである。やがて欧・米・ロ・中・イスラムという5つの帝国のどれの下につくのか、どの内部で国家を持続するのか、という選択を世界中が迫られるが、日本は(アメリカ帝国傘下にはいるが)ぼやぼやと無所属で一国いる。(この辺はハンチントン『文明の衝突』の類の焼き直しだろうけれど)

今日挙げた2冊とも、現代のネーション・ステイト(国民国家)の危うい現状、好戦性を捉えている。
そして、日本国の主体性の中途半端さ、なんとかここまできた素晴らしさ及び残念さ、さらに国民個人の非力さと希望とを教えてくれる。
もやもやしつつ本を閉じ、腕を組んで唸った次第である。

2016年6月11日土曜日

ブログ表現を模索しつつ

ブログの表現というのは、つくづく難しい。

話題がなければ間があくのだ。
が、一口に話題と言っても、どうでもいい日常の些事から誰かのためになりそうな情報、重々しい私的思索までいろいろある。どうでもいい話ならいくらでも書けるが、そんな文章では、書き手にも読む側にも時間と労力の無駄というものである。

ブログは、料理なら料理、科学なら科学、工作なら工作、文学なら文学というふうに、話題の分野を特定すれば本当は一番わかりよいのである。
だが、ここはそういうブログではない。テーマは私が勝手に決め、一私人としての私がいろいろ考えて書くべき場と決めてある。しかしだからといって、自己顕示が目的というわけでもないのである。
自分のことを何でもかんでも公表するのは問題だし、読む側だって退屈だろう。

結局、ツイッターなどは私には馴染まなかった。俳句・短歌が短すぎると感じるのと同じで、情報としても表現としても短すぎる。
SNSは、フェイスブックもミクシィも10年くらいは一応参加している。けれど、これも肌にぴたりとこない。SNSは便利な面はあるがあまりに直接に自己顕示的で、そして人間関係に奇妙な複雑性を与える。
ツイッターもSNSもジャンク情報だらけ、というのが素直な感想だ。けれど、載せられた情報がジャンクか否かは各々の利用者が決めることであって、SNSから国際政治が動くことだってあるし、ツイッターで大儲けする人もいっぱいいるくらいだから、ただ私に使いこなすだけの能力がないだけの話でもあるのだろう。


さっき自分のことを何でもかんでも公表するのは問題だと言ったが、情報を出す側がコントロールしなければならないことはネット時代にはごくノーマルなスタンスである。
コントロールは必然であるが、かといって情報を出し渋りすぎれば、表現は無意味なものと成り果てる。
たとえ宣伝をかねていても、いいところばかり見せようとすれば、キザになったり優等生じみたりして鼻につく。生身の人間と一緒のことである。
要するに、一にも二にもバランス感覚が大切なのである。ここもなかなか難しい。

試しに自分が最近、何をしているかを書くとする。
そうすれば、友人知人が私の近況を類推できるかもしれない。

例えば昨日(2016年6月10日)は、『90分でわかる デカルト』(ポール・ストラザーン著、1997)というライトな哲学者紹介本を12年ぶりに再読した。
夜は、2006年のアニメ映画『パプリカ』をDVDで観た。これは2007年のDVDリリース日当日、仕事をズル休みしてまで心待ちにして観た作品で、私には思い出深い。内容は、他人の夢に入り込んで不安神経症を治すセラピストが夢から抜け出られなくなるという冒険ミステリーで、描写が非常に異常で面白いし、ヒロインがとにかく可愛い。原作は筒井康隆。今敏監督がその後急逝してしまったのがつくづく残念だ。今回の9年ぶりの再鑑賞は当時と違う楽しみ方ができた。

・・・といった具合に作品鑑賞のメモを書けば、友人知人は(これは自分も読んでみよう観てみよう)、などと思うかもしれない。思わないかもしれない。
ただこれだと他者の作品を受動しただけなので、そもそも私が自分で表現する必要性が少ない。評判をユーザーが知りたいのなら、Yahoo!レビューかアマゾンのレビューをみれば済む。

ということで、私の胸の内を通した内容、例えば昨今のニュースに思ったことを書いてみる。

最近のニュースには本当にロクな物がないが、そのなかで唯一朗報に属するはずのニュースに、一番ガックリきてしまった。原子番号113番目の元素の命名権を理研が得て、「ニホニウム」と名付けて悦に入っているあのニュースだ。
素晴らしい研究をしたのはわかるけれど、それだって研究競争の僅差で勝ち取った命名権でしかない。「ニホニウム」。このネーミングセンスのなさ、工夫のなさに、私は虚しささえ覚えた。
面白みもひねりもなければ、メッセージ性もない。あるのはナショナリズムのみである。安倍首相はもろ手を挙げて喜んでいるかもしれない。
福島にエールを送るとか、原発事故で失った科学への信頼を回復する云々という理由付けをしているが、全然「ニホニウム」の理由付けになっていない。それなら「フクシミウム」にすればよいではないか。日本の若者に勇気を与えるなら「スペシウム」でもいいし、「ユメニウム」でも「ウレシウム」でも「ガンバリウム」でもいい。ルール上、科学者名や地名にこだわらなくてもいいのだから。
瞬時に消える性質なら「マボロシウム」でもよかろう。覚えやすい。
「ニホニウム」で喜ぶのは、日本人で、かつごく一部の国粋主義的な人だけだろう。ゲルマニウムもそうだが、純粋科学が愛国心表現の場になっている光景にはただ溜息が出る。有名人の名前も白々しい。アインスタイニウムなんて、何が面白いのか? 元素名なのだ。素直に「それっぽい名前」を付けてやれないのだろうか? 星の数ほどは元素は存在しないのだ。
まぁ、べつにただのネーミングだから本質にかかわる話ではないし、ましてや私にはまったく関係のないことなのではあるが。

・・・といった具合にニュースの感想を書いたところで、、これは誰の役にもたちそうにない。
友人知人が(ふーん、君はそう思うんだね)と思う程度のことであろう。


しかし、私の日常には、まだいろいろ他にも行動や出来事がある。
たとえば別の研究課題や問題についての他者との話合いがあったり、まだ誰にも公表できない面白い研究があったり、自身の仕事と生活とに独自の方法論を当てはめて進もうと四苦八苦していたり、子供らに独特の教育を試みたり、家族で他愛もないドライブにでかけたり、無駄な時間を過ごしたり・・・ 
つまり人並みに、いろいろあるのだ。

が、これらの中には書いてはいけないこともあるし、書いて意味がないこともたくさんある。
――こんな当たり前のことを書くのも、時間と労力の無駄に近いのだが、ここで申し述べておきたいのは、このブログではしばらく、内容と表現の模索が続くであろうことである。
ありきたりだが、読書メモや映画鑑賞メモやプチ旅行記などを書けば、いちばん友人知人には無害かつ有用なのかもしれない。
・・・しかしこれだと、ツイッターやSNSとほとんど同じようなものとなってしまいかねない。
模索していくしかない。


2016年6月7日火曜日

日常風景(6月)

梅雨は梅雨でも晴れ間の多い梅雨だ。
そうこう言っているうちにもうすぐハーレー祭だから、梅雨もじきにあけるだろう。

それにしても温湿度とも高いので、窓にくっつけるタイプのエアコンを2基買って付けた。
こういうものがあるのか、と今回初めて知った。なかなか重宝している。モノの雰囲気としては、思いつき的な後付け工事感が否めないし、かなり重いので窓枠から落ちてこないかが心配ではある。音も案外大きい。けれど、これでうちのベッドマットをリビング(!)からいわゆる寝室へと移動できたので、奇妙な生活から一般的な生活へ修正が進んでいる気がする。
空冷装置というのは結局電気エネルギーを熱エネルギーにしてしまうので、熱風を外に排出しなければならないから、窓際にくっつけることになる。海辺に建てる原発とちょっとだけ似ている。

大量の本の一部を箱に入れて家内の事務所に移動したら、腰を傷めてしまった。
数日前に5、6回噛んでできた口内炎も、歯に当たり続けるので全然治らない。
そう言うと、「歳なんじゃないの?」とひとから言われてしまった。


行動と計画は、人を主体とし物を対象として進められる。
だから一連の活動を円滑に進めるために、物は常々整理整頓されなければならず、それは物品のみでなく情報にも計画にも行動についても執り行われなければならない。

僕はそういうことが得意というわけではないから、慣れないことで腰を痛めつつも理路整然を目指して頑張るわけだ。けれど整頓そのものは何かを生産するわけではないから、できるだけ手短にするべきであることが分かっている。
理想は、目の前に出されたコース料理をその都度平らげるように、あるいはマッカーサー元帥が毎日デスクの上に書類を残さずに帰宅したように、手元に来たものを全部その時やりこなしてしまい、整理してしまうことである。私のような者は、なかなかそういうふうにはできず、ついついおやつをつまみ食いし、そのぶん、食卓に出されたものは残したりしてしまう。
だから本来なら、庶民は粗食で暮らすのがいいのであろう。
(グローバル資本主義経済社会のなかでいつしか生活を肥え太らせながらも、個人意志だってどこか脳のどこかには残っているはずだ・・・)

 腹回りを気にしてなでる初夏の風