2017年8月9日水曜日

月蝕を見た

一昨日の夜中、午前4時前。私は夜更かしをしていた。
日付は8月8日になっていた。ふとニュースを思い出し、南のベランダに出てみると、先日沖縄本島を外れていった台風5号が、まだ柔らかく吹き残っていた。

満月のはずの月が欠けている。
同じく夜更かしをして床についたばかりの妻を呼んだ。
しばらく一緒に月蝕を見ていた。
妻は不思議がりながら、月蝕の仕組みがわからないと言うので、内心(ええっ?)とは思ったものの、あれは地球の影なんだ、とだけ私は言った。

月蝕はいつも満月に起きるの?
どれくらい珍しいの?

などと質問されて、たぶん月蝕はいつも満月だな、数ヶ月か数年にいちどくらい見れるんじゃないかな、と曖昧な返事しかできなかった。
妻がベランダを去り、私は15分くらい月を見たり、デジカメで撮ったりしていた。

ぼんやり考えて、やはり位置を思えば、月蝕のときは満月で、日蝕のときは新月だな、とイメージした。2回かじったマカロンのような蝕などは見たことがない。
午前4時を回り、まだ月は欠けていたが部屋に戻った。

次の月蝕は来年の1月だとか。






2017年7月28日金曜日

火球を見た

今日は偶然いつもとは違う子どもたちと息子たちとのやり取りがあって、半日わいわいと楽しい時間を送った。私にとっては、生活や仕事や行動に大いに悩みながら、わいわいと子供らと過ごす日でもあるという点では、まったくいつもと変わらないのではあったものの、子供らや親御さんとわいわい話したりして喉がガラガラになった。楽しかった。

さて、そんな一日も暮れていった2017年7月27日夜9:15頃、糸満市からみて西の空をふと見上げた時、私は生まれて初めていわゆる「火球」を見た。
幽霊としての〈火の玉〉ではない。
流れ星の大型版としての〈火の玉〉だ。

私は次男を抱っこしながら、ふいに、次男がぼーっと見ていた先を見やった。
その光は、一見して飛行機だと思った。
しかし飛行機にしては輝きが星に似ており、かといって星としては大きすぎる白い発光体で、ゆったりと斜めに落ちるように移動していく。その動きはかなり低速だったが、人工衛星よりは早かった。
私の「あれ?」という声で、妻と長男も見上げた。
そしてそれは、のろのろと落ちる大きな流れ星となって輝きを増したと思ったが、すぐに消えていった。

何であったかは分からない。
隕石か人工衛星が大気圏に突入して燃えたのかもしれない。
何のニュースも検索で引っかからないので、きっとミサイルの類ではない。
これが〈火球〉というものなのだろう。

2017年4月2日日曜日

ホームページのURLがkasainote.netに変わります

ちょっとしたご連絡です。
ホームページ「河西大地の手植えノートWebsite」のアドレスが、ちょっとだけ変わります。

 kasainote.net

になります。
(これまでは www.kasainote.asia だったので、最後のドメインが変更になるだけです。)
なお、最初にwww.をつけてもOK、http://www.をつけてもOKです。
では、お手数ですが本日4月1日からは新URLにご訪問ください。
(なお、現在のURLは2017年5月23日で終了いたします。)



サーバー:さくらインターネット
ドメイン:お名前.com

2017年1月8日日曜日

本の虫の種類


あけましておめでとうございます。2017年、はりきっていきましょう!
まず、なかなか知られていないと思われる、「本の虫」についての有意味な情報を。
本好きの私が長年知らずにいて、やっと最近のインターネットで他人の受け売りを掻き集めて手に入れた、シンプルかつ合点のいく知識です。

今年は本をたくさん読もう。一年の計は元旦にあり。積んであった本を手に取る。
すると・・・
な、何かいるっ!
本の見返しの真ん中を、小さな白い点としての動く蟲が1匹・・・
柔らかな小さな白点が、黄ばんだ紙面を爆走していく。君の名は。

「ボクの名は、“チャタテムシ”!」
などともちろん言うはずもないが、誰が命名したのか“茶立虫”とは風情あるネーミングじゃのう・・・。
などと茶人のように澄ましたことを言っていると、たちまち本のどこかへ逃げていってしまう。
待て待て待て! 本のページによく出現するので、「本シラミ」とも呼ばれている。
でも、本を閉じたりすればすぐに潰れて死んでしまうのでベランダへ急ぎ、フッと一息で外へ追い出した。正月早々の殺生はしたくない。

これはきっとダニの一種だな。
――そう思っている方がほとんどでしょうが、そうではないのです。
なんと昆虫とのこと。古本のみならず、畳とか障子とか、そういった「和風な」場所が好きらしい。粋な奴だ。しかも障子でシャカシャカ音を立てるそうな。
シロアリに似た形で体長2mm以下。カビやらフケやら、そういう汚いものを食べて生きている。本への害はあまりないという。糞や死骸がアレルゲンになる可能性はあるとのことで、そういう理由でご退去願いたいところではある。

  *

さて、お次の虫は?
私たちが沖縄に引っ越してだいぶ経った頃のある日、家内がキャーキャーと騒いでいた。
「ナニコレ!? きゃーっ、来て!」
どれどれ、そんな小娘みたいなお声で主人を呼ぶなんて可愛いヤツめ、と思いながらおもむろにいってみると、妻は目をまん丸くして棒立ちしていた。そして押入れを指差し、もう一度確認するために恐るおそる奥を覗き込んだ。
「何か変な虫がいるの!」
「どれどれ」
私は落ち着いた表情で押入れに頭を入れたのだが・・・
「わわっ! な、なんだこいつはっ!」
初めて見る奇っ怪な微小動物に仰天した。そしてうろたえた目でおずおずとしながら、
「宇宙からやってきた生物なんじゃないか?」とまで口走った。

銀色にギラギラした5mmほどの体をくねくねさせて、隅っこを走っていく。速い。
鎧(ヨロイ)のような鎧戸のような、まぁダンゴムシ状の構造をしている虫なのだが、極めて小さくて少し長細く、そしてうねうねと~~~~~という動線を描いてひらひらひた走り、けっきょく小さな隙間の中に消えていった。

やがてコイツは頻繁に現れるようになった。
広告紙に誘導して外へ逃がすのだが、手元が狂ってちょっと紙を上に乗せただけでも体液を出して死んでしまうのがやっかいだった。ヨロイが役に立っていないではないか、と私は思う。
だがこの生き物が何なのかまったく見当がつかず、ネットでも調べがつかず、「漫湖水鳥湿性センター」という博物館に出向いた際に昆虫に詳しいお兄さんにも訊いたが、わからなかった。わからないというよりも、そもそもコトバで伝わらないのである。
「それは、昆虫なんですか?」
と博物館のお兄さんに問われた。
「昆虫ではないと思います。何科の生き物なのか、何というか何とも形容しにくいんですけれども、銀色で、うねうね素早く動いて、ヨロイみたいな背中で。いや、雰囲気的にはフナムシがいちばん似ているかな。でも背中はダンゴムシとか、ゲジゲジとか。そんな仲間だとは思うんですけど、とにかく小さくて速いんです。まるで宇宙から来た生物のような、SF的な何かなんです! 私も40年近く生きてきて初めて見ました」

まず私としては、人間に害があるのかないのかが知りたかった。
うちには一応、ヒト科ヒト属の5歳と0歳が2匹生息している。心配だ。
たとえばそれが刺してきたり、噛み付いたり、体内に入り込んだりするのかどうかをまず知りたかった。けれども、その虫が「一体何なのか」さえわからない。やがてその虫が、とくに私の古書の隙間から発見されることが多くなったのだった。
どうしたらいいのだろう?!

そんなある日。
私はいつものようにタブレットで松岡正剛『千夜千冊』ブックガイドブログを読んでいて、ある年末の書庫掃除について書かれた文章に出会った。

 「スタッフ総勢と編集学校の諸君が手伝いで参加して、今年も一斉に埃りを拭いてくれた。紙魚までは落とさない。」(1214夜『司書』)

「紙魚」とは何のことだろう?
調べると「シミ」と読むらしい。
そう。結論からいうと、これこそが私の家の隙間や私の古書の間から出てくる小さな生き物正体だったのである。
紙魚(シミ)――シミ目は、なんと「最も原始的な特徴を持った昆虫」なのだという。そうか、彼らは太古の昔からいる生きた化石としての昆虫だったのか~! だからSF的な容姿だったのか。
たしかに、よぉ~く見ると、触覚や尾っぽが2つ3つ出ている以外は6本足にみえる。小さくて細いから、シルバーの鎧の背中しか認識していなかったが。英語ではSilverFishなのだそうだ。

シミにも色々いて、よく見るのはその非常に小さな種類、まぁ多分「セイヨウシミ」だと思う。沖縄にはキボシアリシミというのがいるらしいが、体長1.3~2mmの微小種とあるがウチのはもうちょっと大きい。体長はだいたい3~6mm。
で、これが何なのかというと、知れば知るほど面白い。

 参考:→ウィキペディア「シミ目」

原始的な昆虫なので、羽が生えたりはせず、一生同じような形なのだそうだ。
まず、ほぼ人間には「無害」とのこと。そして、本の糊(のり)の部分を食べる。書籍の紙の部分は、ほとんど食さない。
私が驚いたのは交配の方法だ。オスは精子を入れた袋をおもむろに置いていくのだそうである。メスはそのプレゼントを見つけて静かに受け取る。――種の数の少ない最古の形をとどめた原始の昆虫は、こんなに上品な子孫の残し方をしているようなのだ。
見た目がグロテスクだから何だというのだろう? 人類よ、愚かなり!

  逃るなり 紙魚の中にも 親よ子よ ―― 小林一茶

              
                  2017年1月、わが家の隅を歩いていた紙魚。

ところで、この紙魚という生き物、わが家に出るセイヨウシミでは6mm以上のを見たことがないが、原理的には死ぬまで脱皮を続けて成長するという。一体どれくらいまで大きくなるのだろう?

 参考:→「シミの種類」

成虫が最大で17mmという記述がある。
が、私の経験談を話せば・・・6cmはあった。
一昨年、東京の古書店からネットでヴィンデルバントによる『一般哲学史』(全4巻)を取寄せたことがあった(井上忻治訳、1941(昭和16年))。大きめの図書で、一冊ずつが箱入りだったが、そのうちの1冊を抜き出した時、フナムシを長くしたような巨大な紙魚が2匹、チョロチョロと出てきたのだった。つがいだった。6cmと4cmほどだったから、それを見たことのなかった私は悲鳴を上げ、すぐにベランダから外に放り出してしまった。
沖縄県の那覇市内にある古書店でも、同じくらいの大きさの同じような紙魚のつがいを見た。その時は、(あ!またコイツらだ)とは思ったが、その動きに驚いて本を手放すと、1匹がそれに少し挟まれたのだろう、体液が周辺の本に付着した。巨大な紙魚は逃げていったが、生き延びたかどうかはわからない。いずれにしても、せっかく夫婦で本の隙間で静かに暮らしていたのにと考えると心が痛んだ。なぜあんなにグロテスクな生き物なのに、かようにか弱い肢体なのか。不可解に思ったものだ。

  *

さて、問題児は次の昆虫で、その名も「死番虫」である!
ウィキペディアによれば、シバンムシは死の番をする虫 "death-watch beetle" に由来する。カチ・カチ・カチ…と音を立てて雌雄で交信を行なうのだが、これが死神の秒読みの時計に聞こえたところからネーミングされたという。すでに恐ろしい。

この昆虫のカタチについて、素人の私のイメージを示したい。
まず、カブトムシのメスやフンコロガシを思い出してほしい。だいたい体長6cmとしよう。
甲虫の中でも、あの少し縦長で丸っこい、特徴のあまりないといえばないノーマルなつまらない形だ。
これを、2.5cmまで縮小してカラフルにすれば、カナブンとかハナムグリの形になる。
さらに0.7cmまで縮小すればハムシの仲間になる。よくタンポポの花びらにくっついている。
それを、さらに縮小して0.3cmにすると、それがこのシバンムシなのだ!

江戸の和綴本をひらくとページにミミズ状の穴がたくさん開いているのをよく見かけるが、その犯行に及んだ真犯人がこのシバンムシなのである。本好きにとっては敵だろう。
ウィキペディアによると、世界で約2,000種、日本から62種が記録されている。カミキリムシに似た形の仲間もいる。

思い出してみれば小学生だった頃、教室の木製タイルの床の隙間に、黒くて極微細な甲虫を見かけたことがあった。女子が「ペペちゃん」という名前をつけていたのが私には印象的だった。これがシバンムシだったのだ。
畳にごく小さな円い点の穴がポツリと開いていることがあるだろう。あれも、こいつの仕業だそうだ。
このように家屋や書籍を食害するのは、シバンムシの幼虫である。白いイモムシ状の幼虫らしいが、私は本の中に住んでいるそういう生き物を実際に見たことはない。

図書館では年に一度、「蔵書点検」といって2週間だの1カ月だの平気で休むことがある。これはいわば棚卸し作業をしているわけだけれど、昔は「曝本期間」と言ったそうだ(12年前に図書館でアルバイトをしていた時に聞いた)。年に一度、日や風に本を曝(さら)して虫干しするのだった。何の虫を追い払うのかといえば、この図書本体をアリの巣状に喰らうシバンムシであろう。糊を食べるシミも追い出すにこしたことはない。

 *

「本の虫」といえば書物周辺に生息する生き物(見てきたように、チャタテムシ・シミ・シバンムシなど)をさすばあいと、それに引っ掛けるようにして、愛書家読書家の類をさすばあいとがある。
後者についえ言えば、私のように「充血が・・・」とか「ドライアイで体調まで・・・」とか常々嘆いている中途半端な人間には荷が重いので、それは今回は語らないでおこう。事実として、世の中にはとんでもなく多量の本を読む方が、けっこうおられる。

ただひとつだけ根本的な問題をいわせてもらえば、それは「読書好き」が良いのか悪いのか、ということだ。
世の中を良くしたい、良い人生を歩みたい、と思ったら、やはり先人や専門家の知識を糧にして思考を重ねることだろう。
となれば、やはり本に勝る媒体はない。図書館にも本屋にも通って、これはというものをどんどん読むし、自然とその人の書棚も大きくなっていく。
ところが。
読書家がそうでない人々と比べて“魅力的な人間”になっていくかどうかといえば、諸兄も同意見かと思うが、全然そんなことはない。
無学な人が暖かな心の持ち主だったりすることは多々ある。金持ち連中が全然本を読まなかったりする。
そしてむしろ読書家に多いのは、偏屈な意地悪爺さん、高慢チキな学者、高圧的な説教婆さん、他人無視の冷淡な文学少女、集中弾丸トークのマニアック青年、情報出し渋りの優等受験生などで、挙げ連ねればイイ奴なんかむしろ少ない気がしてくるくらいだ。

また、本を執筆する人の多くは読書家だろうけれど、作家や哲学者がこれまたDVしたり、生活無能者だったり、精神疾患ひいては自殺が少なくないことも、(ホント、なんのための知識だよーっ!)と叫びたくなる。
そして、16世紀ヨーロッパに登場した、怪しい放浪の魔術師であったネッテスハイムのアグリッパという人がこういったのを思い出してしまう。

 「無学な者は昇り、天上に運ばれるが、われわれは、われわれの学知とともに地獄に沈むだろう」

以前ブログに書いたが、デカルトも本を離れて現実世界を読めとか、尊徳二宮金次郎も書籍を尊ばず天地を経文とせよ、などと言っている。なお、2人ともとんでもない読書家だったから、どう解釈すればよいのか考えねばならないが、とにかく彼らは洋の東西こそ違え、まったく同じことを言っていた。

本は、――本というのは、諸刃の刃なのだ。
凡人の私もわかっているつもりだ。本や情報に人生全部を喰われないようにしなくてはならない。
それはたとえば、商売金儲けに人生を捧げたり、仕事人間で生涯を終えたり、パチンコに人生を費やしたり、ゲームに青春を捧げたりと同じことで・・・
「え? 仕事人間はいいんじゃないの? 金儲けも、悪くないんじゃないの?」

・・・本当にそう?

ま、まあ、生活無能者の私がどうこう述べる資格もないわけですので、・・とにかく「本の虫」、の話題でした。(汗)
今年もよろしく!





2016年12月28日水曜日

さよならレイア姫

昨日(2016年12月27日)『スター・ウォーズ』のレイア姫を演じたキャリー・フィッシャーが心臓の病気で亡くなったというニュースがあった。60歳とは早い。ショックである。
今年は、R2-D2の中に入って演じていたケニー・ベイカーも亡くなった。1977年最初作の『スター・ウォーズ』出演陣がどんどん亡くなるのは寂しい。

ついこの間の12月16日、元上司ら3名と一緒に『ローグ・ワン(スター・ウォーズ・ストーリー)』を観てきた。初日だが沖縄の映画館はけっこう空いているので真ん中後方の良い席で観られた。
この同じメンバーで昨年12月にも『スター・ウォーズ フォースの覚醒』を公開3日目に観た。
だからこのメンバーになると、必ず『スター・ウォーズ』論評が飛び交う。一致した意見は、やはり昔のエピソード4と5とが秀逸だということ。

問題となる不一致の意見は、ヒロインの評価である。他のみんなは「スター・ウォーズのヒロインは総じて魅力がない。辛うじてアミダラ女王はゆるせる」ということだが、私は「レイア姫もいいし、レイちゃんも、ジンちゃんもよかった」と好評価をもっている。「けっきょく、誰でもいいんでしょ?」と言われるオチになるわけだが、私はアミダラ議員があまり好みでない。
まぁ、いずれにせよ好みの問題である。
案外人気のないレイア姫だが、私にとって、彼女の雰囲気が『スター・ウォーズ』の大切な要素になっている。あのデス・スター設計図のデータをかがみ腰でR2-D2に仕込む時の、謎めいた幻想的な印象。ダーズ・ベイダーを前にムキになって強気発言をするツルツルお肌の表情。ジャバ・ザ・ハットに鎖で繋がれ・・・(おっと、もうやめておこう)。

2015年の『スター・ウォーズ フォースの覚醒』には、すでに皺くちゃのお爺さんお婆さんになってしまったハンソロとレイア(ハリソン・フォードとキャリー・フィッシャー)が頻繁に登場し、観客を沸かせると同時に失望させてくれた。
が、最新作のスピンオフ映画『ローグ・ワン』には、1977年のキャスト数名が当時そのままの顔立ちで登場する。若いレイア姫もラストに出てくる。CG処理(3Dレンダリングというデジタル技術)で人の表情まで再現できるようになったことを見せつけられた。これ見よがしだったが、まんまと驚いたし楽しめた。

なお、『スター・ウォーズ フォースの覚醒』は映画館で2度観たが、自分にとっても特大のインパクトを伴った娯楽だったのに、観終わるとスーッと面白さが減少するような印象が否めなかった。尻すぼみであり、詰めが甘すぎて、星はでかくてもストーリーが小さいと思った。突っ込みどころ満載なのだった。
今度の『ローグ・ワン』は、話自体はそもそも小規模なのだが、表現が細やかでリアリティある悲劇が再来し、とてもよかった。よかったのではあったが、インパクトは小さく、見終えて数時間もすると印象にあまり残っていなかった(同監督の『GODDILA』もそうだったから不思議である)。そういえば、今年めちゃくちゃ話題になったアニメ『君の名は。』も観ているときの幸福感に比べ、鑑賞後の印象は消えていくのが早かった。

それに比べると、1977年の『スター・ウォーズ』やその次の『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』は、観てから30年近く経ってなおも胸に沁みついているのだから凄い。いや、数か月前に子供と観たら、たしかに(案外子供じみている映画なんだな)とは感じた。私も大人になったのだ。10歳の頃「金曜ロードショー」のビデオ録画でみた当時は、映画の範疇を超えるほど強烈なイメージに打たれたものだった。これぞ、幸福な映画体験というべきものであった。



この年末年始は、家内と子供たちだけ実家に帰省しているので、私は静かにじぶんのすべきことを進めたり、ひもじくも悠悠自適に暮らしている。そんな私が寂しくしていると気遣って、元上司2人(53歳と26歳)がマクドナルドで色々買い込んでうちにやってきたのは一昨日のことだった。
じつはその前の日つまりクリスマスにも、その元上司のお宅のクリスマス会に呼ばれて夜中1時過ぎまでワイワイしていたのである。「連日じゃないですか」と私も嬉しさまぎれに呆れた。

で、その日最後のTV出演となるSMAPの話題は1度も出たりせず、いろんな話をかわしたなかに凝りもせず『スター・ウォーズ』の話題がけっこうあった。われわれはSW新作にああだこうだ文句を言いつつも、それぞれの家にスター・ウォーズのグッズは着実に増えているのだから困ったものである。2つ3つといったレベルではない。

私はEP盤の『スター・ウォーズ』のレコードを掛けた。いつか骨董市で1枚300円で買ってきたものだ。曲は「スター・ウォーズのテーマ」「酒場のバンド」「ダース・ベイダーのマーチ」「ヨーダのテーマ」のみ。私は「酒場のバンド」が一番好きだ。よく口ずさむ。ルークとオビワンがモス・アイズリー宇宙港近くで入り、ハンソロとチューバッカが初登場した、ならず者ばかりが集まる酒場“カンティーナ”で演奏されていたBGMだ。愛嬌ある名曲だと思う。
音質に非常にこだわりある年上元上司は、「盤が曲がってる」「盤に水拭きした跡がある」「直に手で針を落とせないの?」「スピーカーが酷すぎだ」「モーターの動きが不均等だ」「そういう所に(盤を)置くなよ」とうるさく注意する。
年下元上司は、長男のBB-8ラジコンで遊びながら分解し、バラしたまま内部車輪の動きをチェックして面白がったりしていた。

さて、元上司2人が注目したのは、私が使っている「スター・ウォーズ」デザインコラボのCampus大学ノート。5冊組で、地味だがペン画などがかっこいい。
「いくらしたの?」
「家内から貰った物だから分かりませんけど、普通のノートの値段かと思いますけど」
「結構凝ってるから、版権高いはずだよ」
「そうでしょうか?」 私は普通に雑記・日記ノートとして使用している。

「ああ、そういえばレイア、飛行機の中で倒れたよねえ」と年上元上司。
「ヤフーニュースでみました。大丈夫ですかね」
「どうだろうなあ。しかしやっぱりハリソン・フォードと付き合ってたんだな」
「暴露本を出したって記事、読みましたよ。でも前から公表はしてたみたいですよ」
「そーなの? ハリソン・フォードもころころ相手変えるからなぁ」
ゴシップ記事をコピペしたようなこんな会話もたしかにあった。2日後にレイア姫が亡くなってしまうなんて、やはり我々は思っていなかったのである。

だって、2017年の『スター・ウォーズ(エピソード8)』は、レイアがいなければ困るではないか(→ある記事によると、どうやら次回作の撮影は完了しているとのことだった)。
ああ、3Dレンダリングでどうにでもなるのか? いやいやいや。

・・・寂しいかぎりだ。



2016年12月15日木曜日

2016年末雑感メモ

年末が差し迫り、顔を合わせたり電話で話す知人友人とも「もう今年もあと少しだね」などといいあって、焦りを共感する季節になった。早い。タイム・フライズだ。

この頃の生活スタイルのせいであろう、めっきり友人と電話をかわさなくなっていたので、先日まとめて電話をかけたら誰も出なかった。家庭あり仕事ありでみな忙しいのだ。
時間差で掛けなおして来てくれたので話したが、聞くと多くの人が2016年末は何らかのトラブルや不運に見舞われていて、慌ただしくも気の毒である。

じぶんは割と問題はないなぁ、と思っていたものの、考えてみれば色々あった。特に、乗用車のエンジンオイルの調子が悪いのは気になる。先日交換しようとカーショップに行くと、なんと空っぽだった。オイルを注いでもらって、急いで修理会社に出向いたら、もしかするとかなり高額の修理になるかもしれないという。しばらく様子見だが、これが運転中に不都合を自覚しないのだからもやもやする。

それから、数日前には1歳になった二男の長風邪をもらって、完全ダウンした。
朝から晩まで、トイレと布団の往復しかほとんどしないでずっと寝ていた。葛根湯とノンカフェインのリポビタンDとミカンが一日の主食だった。頭痛、38.2℃の発熱、めまい。無意味な長い夢を延々と見て過ごしていた。
二男も風邪なので、食べては咳き込んで吐く、ということを1日で11回も繰り返し、いつもなら後始末や洗濯などを妻と連携プレーで済ませるところを、私は他人事と放って寝ていた。その慌ただしい事態が、はるか遠くに聞こえていた。食べさせれば吐く、というアルゴリズムが判明しているのに、なぜ妻は同じ愚行を絶え間なく繰り返しているのだろうか、とまぶたの裏でぼんやり不思議に思った。妻はあまりの手間と労力に、最後には発狂するかのように1歳児を怒鳴っていたが、まぁ、それくらいはにんげんだもの、である。

今は徐々に回復し、家族の生活ペースも概ね回復した。
子らは健やかである。長男は場の空気を読めないほど元気だ。
二男は咳をしながらも元気で、妻が寝かしつけてもいつまでも眠らず、夜11時頃には何度となく私の部屋へハイハイして来てしまう。その時は私は高校時代の友人と久々に長電話をしており、あまり相手をしてやらなかった。すると、やがて泣きわめく。
ケータイ片手に、長男を寝かしつけている妻のところに二男を連れて行っても、またハイハイして私の部屋まで来てしまう。その繰り返し、繰り返し、である。可愛いが面倒だ。
家内も憔悴しているので、私もやっと電話を切った。添い寝してやると、二男もすぐに眠った。長男はマザコンであるが、二男は両親ともいないとダメなタイプなのはわかっている。

日々、ちまたでは色々なニュースが流れているけれど、やはり良いニュースは少ない。
特にこの2日間のニュースでは、沖縄でもオスプレイが落ちたり壊れたりしているのに、アメリカ軍も日本政府も度を越した横柄さを露呈しながら開き直るという態度をくりかえしている。司法までも飼いならして辺野古の埋め立てを進めたり、無茶苦茶だ。
いったいこの国はどうなっているのかと、開いた口が塞がらないというか、塞ぎ込んでしまうというか・・・それでも安倍首相の支持率はけっこう高いままなのは、私の政治理解を超えている。ペンパイナッポーアッポーペンの面白みは理解できてきても、沖縄を取り巻く日本とアメリカの対応は理解しかねる。「大衆」云々という話ではないのである。

私の一案では、まずは新聞各社が、あのドローンタイプのヒコーキの名称を「オチプレイ」と全面変更するところから始めたらいいのかもしれない。統計学的には一般の米軍飛行機より落下しないので安全というが、こんなに頻繁に落ちている。奇妙な統計、落ちるべき設計、支配者の奸計というしかない。

まぁまぁの年だった2016年ももうすぐ終わる。
一年の計は元旦にあり。来年は良い年にしよう!

みなさま、2017年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


2016年11月9日水曜日

トランプ大統領の誕生

今日は朝から鼻風邪をこじらせて、ドリンク剤を飲み、パンプキンスープとミカンを食べて休んでいた。
目覚めると布団のなかでタブレットで読書をしていたが、もうすぐ1歳になる子どもがハイハイしてタブレットを奪いに来る。好きにさせるとスワイプを真似てさすが現代っ子らしい。・・などと感心もしたが、こちらは読書の途中なので、やがて奪い返す。すると絶望的な表情で大泣きした。

妻が息子たちを連れて買い物へ出かけ、私はパソコンの席に移る。
途中から、今日のアメリカ大統領選挙の開票が気になりだし、ネット速報で地図と棒グラフが、青と赤とに塗られていく様子をチェックしていた。ヒラリー・クリントンの青い民主党VSドナルド・トランプの赤い共和党。

接戦がずっと続いた。が、トランプのバーが先に過半数に近づいてきたので、私も布団に戻って、テレビ(NHK)をつけた。


日本時間午後2:35分。――大統領選の模様を中継するニュースの途中で速報が入り、AP通信がトランプ氏の勝利を伝えた。

今日は日本のみならず世界中の金融市場が乱れている。5ヶ月前のイギリスEU離脱を巡る選挙のときと同じだ。そしてついに、世間の予測と真逆の結果になる、というところまで同じになった。

私は苦笑した。
この選挙結果には、苦笑するしかない。

西側の大半の国々は動揺しているだろうが、日本政府もわたわたしているに違いない。何せ日本という国家は、政体としては敗戦この方ブレることなくアメリカ帝国の子犬だ。

先月の国連総会での「核兵器禁止条約の交渉開始に関する決議」では、なんと日本が、数少ない核兵器保有国に混じって「反対派」にまわったことがニュースになった。
世界唯一の被爆国が、核兵器の存在に賛成票を投じたのである。
私だって呆れ返ったが、一生懸命アメリカに尾尻を振る、見事なまでにぶざまな小国ニッポンは世界の注目を浴びた。「世界の軍事バランスが・・」などという言い回しは白々しくて、聞いているだけでも恥ずかしくなる。

そしてこれまで日本政府は、せっかくアメリカの言うとおりTPPも強引に推し進めてきたのに、当のアメリカの政策が変わってしまう。
TPPにトランプは反対なのだ。
また、せっかくアメリカ軍事力の傘下にいるのに、トランプは安保のためにもっと日本に金を出せというスタンスを発表しているのだ。
安倍総理はすぐさまトランプ氏に媚を売るメッセージを送った。そんな安倍さんへの国民支持率は過半数超えで高い。

けっきょく日米とも、金回りのことを豪語しまくる人間をこそ支持するということになっている。日米とも、過半数の一般市民の内面は「乞食化」しているのだ。

かくゆう私も、名前からしておふざけ路線のドナルド・トランプ氏が大統領選に勝利したという速報を目にして、ひとり苦笑した。
オモシロイと思った。
これからどんな世界情勢が展開していくのか、見当がつかない面白さ。
優等生ではなく、アホな人間が逆転勝ちして天辺を獲った面白さ。
アメリカ政府そのものがギャグになる面白さ。

いや実際には、つまらないことになるかもしれない。
ブッシュJr.のときがそうだったが、あれも半分ブラックジョーク的だった。世界中で戦争は激化の一途を辿ったのである。

共産圏(中国・ロシア)はトランプ勝利を本心では歓迎していると記者たちがニュースで話していた。
世界情勢はこれからどうなっていくのだろう?


私は自分の手回りのことをしていこう。
読まねばならないものがたくさんあるし、研究すべきこと、書くべきことがたくさんある。まずは自分の風邪を治さねば。
小市民には小市民のやるべきことがある。あたり前のことだが政治がすべてではない。