2016年7月29日金曜日

コーヒーの飲み過ぎとパソコンのやり過ぎは怖い

健康について書きたい。
いま私は38歳。筋肉量は足りないがほぼ健康体である。

しかし5、6年前、私はパニック障害や過換気症候群などの原因不明の体調不良で苦しんでいる時期があった。
とくに夜中に酷いのだ。キツい。とても嫌な辛さがあった。
生活にそれなりのストレスはあったが、それだけが原因ではなかった。

最初、どうしてもそうなる原因がわからなかった。
こういうことはなかなか、お医者さんもインターネットもぴたりと教えてくれることがないからだ。結局、自分のことは自分で解明しなければならないのである。
経験を積んで、疑似科学で現実に挑むのだ。

その後、自分なりに探り、いくつかの原因が徐々に浮かび上がった。
工夫を重ねるうちに、3年くらい前からは、パニック障害も過換気症もまったく起こることはなくなった。

私の場合、以下のような明らかな原因に辿りついたのだった。

1.コーヒーの飲み過ぎ
 →夜中に突然の強い動悸に襲われ、ガバッと跳ね起きる。

 コーヒーは若い時には1日10杯、多いときは15杯ほど飲んでいた。その頃はなんともなかった。
 夜中の体調に不具合が出て、もしかするとコーヒーかも、と思ったときには絶望的な気分になった。
 こんなに好きなのに。
 テレビでも雑誌でも、コーヒーは心身によいと言っているのに。
 しかし、個人的な実験を繰り返してみて明らかになった。主犯人は、どうあがいてもコーヒーだった。
 やがて飲み方を変えた。
 飲むのは日中4杯まで。午後8時半までならば問題が起きることはまずない。
 肝臓で1日あたりのカフェイン分解量のキャパシティが決まっているのだろうし、分解しないまま寝てはいけないのである。
 血中に毒としてのカフェインがあって、たぶん深夜、心臟に負担をかける(アルコールも似たようなものかもしれない)。
 コーヒーに限らない。カフェインが入っているもの全般だ。緑茶、紅茶、青汁、ドリンク剤、ココア、チョコレートも夜はNG。
 お酒を飲んだあとと同じように、コーヒーのあとにも水をよく飲むのがよいようだ。

2.ドライアイや目の疲れ
 →夜中に嚥下障害を引き起こし、まるで呼吸困難のような焦りと苦しみを感ずる。

 ついつい、仕事や趣味で2、3時間ぶっ通しでパソコンをやり過ぎたり、さらにテレビを見たりしてしまう。あるいは、5、6時間ぶっ通しで熱中してしまう。
 しかし、ナイーブな眼は過酷な労働に耐えられない。

 眼は、目を動かす筋肉であろうか、奥でノドの嚥下動作をする筋肉と何かつながっているみたいなのである。
 それに眼は、外部に突き出た脳とも言われるように、脳神経と直結しているのだから、酷使するのは精神にも悪い。 
 本当は、パソコンやテレビを付ける際には、30分ごとに目をしっかり休めるのがよい。

3.寝ぎわの考えごと
 →脳がうまく眠りにつけず、夜じゅう考え事を続けたり夢を見続けるような寝方になってしまう。途中で目も覚める。

 悩ましい考えごと、特に答えの出ない思考は、日中に行なうべきである。
 寝際のウォークマン(音楽、英単語など)も避けた方がよい。
 夜は心身を休める時間だ。寝際は、ただただリラックスするべきなのである。
 幼子が優しさに包まれて安心して瞼を閉じるように、一切の思考する煩わしさを捨てて眠るのがよい。

4.運動不足
 →身体の末端部にも、内臓にも、血流が滞ってとにかく「非常に」よくない。

 加えて気温が低かったり、食事を十分に取っていなかったり、逆にとりすぎたりすると、さらに身体はバランスを崩す。
 私は以前、パニック障害が日に日に悪くなり、過換気症候群(過呼吸)になって救急車のお世話になったこともあった。
 その頃、ほとんどパソコン漬けと読書の日々だった。

 柔軟体操とか、散歩とか、部屋の掃除とかちょっとした家事くらいは誰もがするべきである。生きているとはそういうことなのだ。無理は禁物だが、一日の終わりには十分疲れているくらいがちょうどよい。
 人間の体はそういうふうにできている。らくをして得することは何もない。体は、使わないだけ死に近づくと心得ていただきたい。
 寝際には柔軟体操が効果的で、私は「自力整体」というものに一時期はまって、それを我流に変えて今も続けている。
 
5.空腹や過食
 →身体がバランスを崩す。
 
 私の場合、夜はエネルギー摂取を少なくした方がよい(妻は逆であるから、人によって違うが)。
 糖分や炭水化物の摂取は夜を避ける。空腹過ぎたり、エネルギーを摂りすぎると、内臓の活動が中止されて、空気で膨らむような不快感が現れるからだ。


以上、大切な健康についての個人的なポイントについてメモしてみました。
誰かの参考になれば幸いでございます。

2016年7月27日水曜日

悲惨な相模原事件

今日の未明に神奈川の相模原で起きた痛ましい「相模原事件」。
津久井やまゆり園という障害者施設を青年が1人で襲撃、50人近くを刺し19人が亡くなったという。戦後最大の殺人事件になってしまったらしい。
真面目で人当たりがよく優しかった元施設職員が、大麻のせいなのか突如として過激な差別思想を持ち、園を辞め、通報により警察やら施設で保護されていたが、数カ月後に犯行に及んだとニュースで言っている。
悲惨なテロは世界中で起こっている昨今だが、比較的平和な日本でこの事件が起きたことは、海外でもニュースになっている。
しかし、この26歳の容疑者はなんと、犯行計画をことこまかに議員や警察に事前通告していたというではないか。

この事件は、・・・ひどすぎる。
むごい。言葉にならない。
犠牲になるのが社会の最弱者という、とんでもなさ。ソフトターゲットの最弱点を狙った執拗で周到な犯行。
これはこれとして十分にとんでもないのだが、しかし、この事件のとんでもなさは他にも多々あって、、おそらくマスコミでも世間でもこれからヒートアップして議論を呼ぶだろう。

つまり、ただ偶然に犯人の気まぐれで発生した大量殺人、ではないのだ。――複合的な社会問題の表出なのである。
なんというか、日本の市民の、日常社会の歪が吹き出したような。どうにかこうにか隠したりなだめたりして、何とかやってきた問題の膿が、ひょんな拍子に爆発して飛び散って出たような。
社会的弱者に対する人倫の問題、障害者施設の安全面の問題、雇用者の性格や不満への対処の問題、大麻の問題、人間関係の問題、・・・幾重にも連なる問題に継ぐ問題の束だ。

そして、神奈川県警はやはり徹底的に責められても仕方があるまい。組織として無能だ。決められた仕事はしたのだろうけれど、問題に対して有効に機能していないではないか。今回はとくに、犯人が解答を送りつけてあるのに、テストにまるで対処しなかった受験生さながらだ。仕事を上手くこなせず空回りする時の人間をみているようだ。

目を覆うばかりの悲惨な事件は、故郷神奈川ということも手伝って気になり続け、沖縄に住む私の心さえも暗くする。


2016年7月26日火曜日

ドキュメンタリー映画鑑賞メモ

たまにはノンフィクションでも観ようかと、2本ドキュメンタリー映画のDVDを借りた。


『消えたフェルメールを探して 絵画探偵ハロルド・スミス』
2008年
http://www.uplink.co.jp/kietavermeer/

これは、ガードナー美術館で盗まれた絵画のうち1点が、フェルメールの『合奏』という名画で未だに見つかっていないこの作品の行方を追う、というものである。
そんなもの、探して見つかるようなものなのかと思ったのだが、これが、見つかりそうな感じがするのである。
一時期日本のテレビで流行った徳川埋蔵金の発掘ドキュメント番組よりは、少なくとも真実に近づいている気迫があった。
怪しい情報、怪しい人物、怪しい人脈・・・

登場人物は皆リアルで、それぞれが個性的で怪しい。とにかく犯罪の匂いがする。
しかし、有用情報への賞金もかなり高額なのに、決定打につながらない。なぜかといえば、FBIも警察も、絵が戻ってくることではなく犯人逮捕に主眼を置くからなのだ。このねじれが、絵画盗難の解決をすべて邪魔してしまう。裏には、政治組織の資金集めの影さえうかがえる・・・
かなりハッキリ、犯人組織像のモンタージュは描いてあるのだった。

絵画探偵は全身皮膚癌で、それも強烈な個性である。進め方、一言一句も興味を誘う。絵画探偵のプロというのは面白い。
しかしけっきょく絵は見つからず、探偵もじきに亡くなってしまったとのことだった。


『おいしいコーヒーの真実』
2006年、英米
http://www.uplink.co.jp/oishiicoffee/

1990年代からのコーヒー豆の暴落以来、スタバやネスレの買い付ける豆の生産地・エチオピアのコーヒー農家は、基本的な生活さえできないほどのひどい状況なのだそうだ。
ニューヨーク市場が勝手な安値を付け、それが世界相場になる。消費者に渡るまでに6度ほどの取引が挟まれてコーヒー農家は買い叩かれる。コーヒーとは別の換金作物である麻薬の栽培に手を出す。子どもの飢餓が広がる。
まあ、酷いものがある。
そして映画の常用手段ではあるが、表の世界と裏の世界とのコントラストを際立たせる。・・・先進諸国の街のカフェはオシャレで清潔、人と人との繋がりを大切にする爽やかさ。コーヒー1杯は高めだが、味よし、香りよし、接客よし、雰囲気よしで言うことはない。企業は儲かりっぱなし、バリスタは腕に人生を掛けて文化は豊穣の様子・・・

そもそも数年前、WHO主催のアフリカ会議で、EUやアメリカは公正な会議を標榜しながら、とんでもなく不公平に自分たち有意にことを運ぶ会議を展開、会議は決裂したのだった。それはそうだろう。(そしてこの延長線上に現代のテロだってあるのだろうと思った。。)
コーヒー農家の飢える子どもたちをほとんどどうにもできないエチオピアの惨状、ノーコメントのコーヒーショップ欧米優良企業たち。

このドキュメンタリーでは、つまるところ「フェアトレード」を促している。世界の市場が公正に取引されていないからこうなるのだ、ちゃんと最低限のレートを確保した製品を買うべきだ、消費者と生産者は無関係ではない、と。
しかし・・・映画を(早回しで)見終えてちょっと考えると、とてもフェアトレードで解決、とはいかないと思った。

まず、何度も何度も思ったのは、この絶望に似た状況を変えようと頑張っている奇特な人は何人もいるが、1人の二宮尊徳も出ないところが日本とは違うのではないか、ということだ。
二宮尊徳は、無一文の奉公人から一気に大農家へと駆け上がったベンチャー的人間だが、何が一番大事なのか、その都度ポイントを徹底的におさえた合理主義者であった。だからこそ、藩や村の立て直しをわんさか実現し、天明の大飢饉で関東一円に餓死者を出さなかったといわれる。

エチオピアのコーヒー農家のコーヒー豆を適正レートで買うのも大事だろうが、それで解決はするまい。
農家の一番の強みは何か。それは、口に入るものを自分で確保できる点にある。

二宮尊徳は、(伝説だが)秋茄子をひとくち食べてその味で飢饉を予測し、もう育っていた綿花や菜種などの換金作物をすべて引っこ抜かせて、ヒエ・アワなど腹を満たせる作物に急遽変えさせたという。
生産がダブついているコーヒーをずっと作っていて良いわけもないと思った。

また、先進諸国に搾取され続けるのは学が足りないせいだということで、なけなしの金を学校づくりにあてるという希望が描かれていたが、これもどうだろうと思った。
インフラ整備よりも、人材・知恵というのであれば、何かしらの工夫が色々できるのではないか・・・そんな気がした。

ところで、私はコーヒー飲みだが、UCCやネスレはうまいと感じたことがない。
スタバは時々入る。接客は高質だが、価格も高い。コーヒー自体は濃すぎて、最近は味も良くないので甘いもの(キャラメルマキアート)で自分を誤魔化す。
こんな味で、よくお客が入るものだ。そしてトレード面でもフェアではないのだから困ったものだ。

私はけっきょく、自分で淹れたものが一番好きだ。キーコーヒーである。外で飲むならタリーズやドトールが好きだ。安上がりにできている。
でも、いずれにしても、コーヒー企業のほとんどは、フェアなトレードなど気にしていないのだろうと憶測する。
結局私は何もできない。
罪の意識をちょっぴり混ぜ込みながら、ミルク入りコーヒーを嗜み続けるであろう。
ドキュメンタリー映画を観た後、よく感じるモヤモヤ感だけが、たしかにあった。




2016年7月23日土曜日

ポケモンGO

ポケモンGO、日本で本日(2016.7/22)配信開始――というニュースがあった。
ついに、アメリカに遅れること約半月・・

連日、世界中であっという間に爆発的ヒットを飛ばし始めたこのアプリゲームのニュースは、すでにいろんな騒ぎや事件や各国政府反応などをともなって、活気がある。
テロとかクーデターとか戦争とか選挙とか、世界を駆け巡るニュースにはそんなことが目白押しだが、そういったニュースは逆にありきたりとも言える(!)。いっぽうで、ポケモンGOみたいなゲームが世界中の市民生活に多大な影響を及ぼしているなどというニュースは、奇妙奇天烈で面白い。

ところで、僕の電話はPHSで、スマートフォンではない。つまりスマホアプリとは無縁だ。
もとよりゲームもしない。
ポケモンGOは気になるが、僕とは無関係なモノなのだった。

さて、夕方に昼寝から覚めた妻と長男は、公園や湧き水場に遊びに出かけた。
僕は自分のことをしながら、寝覚めたばかりの8ヶ月の二男を抱いていた。そこへ郵便屋さんがやってきて、僕がネットで購入した琉球ガラスを届けてくれた、そのタイミングで、同じアパートに住む小4の女の子と4歳の男の子の姉弟が通りかかって、「ねえ、遊ぼ! 久々に」と38歳の僕に言った。
長男と妻が出かけていったのは見たそうだ。「赤ちゃんと遊びたい」というので、踊り場でわいわい雑談をしながら二男のほっぺたを触らせたりしていた。
すると、女の子がポケットからスマホを落とした。
「君のスマホ?」
「ううん、お母さんの」
「落としたらマズいだろ」
するとその子は、誤魔化しまぎれにこう言ったのだ。
「ねえ、ポケモンGOやろう?」

画面を見せてもらうと、ニュースでよく見かける画面があり、ゼニガメというキャラクターが捕獲済みだった。
「お母さんが獲ったって」
何だかマークポイントもあるが、ここはド田舎のせいか、地図上に道がない。その子は場所の検索をかけるのだが、それもきちんと動かない。
僕は耐えかねて言った。
「よし。こうなったら、そのポイントまで今から行ってみよう!」
・・・ひとんちの子が持ってきたスマホで、僕は積極的にポケモンGOを体験しようとしていた。

まぁ、ここは田舎だし、近所の子どもたちとは大体仲良しなので、滅多なことでは誘拐になるまい。
昨日も表で長男の友達(5歳)たちと戯れていたら、わざわざ持ってきて貸してあげた自転車で思い切りぶつけられて、僕は右脚のスネに打撲と擦り傷を負った。
はっきり言って、そんなことばかりの日々である。

子どもたちを待たせて、戸締まりと身支度をして踊り場へ出て「さあ、出発だ!」と言った。
女の子が「でも、お父さんが帰ってきたら、家に帰らなくちゃいけない」と言った次の瞬間、そのお父さんが階段の下から上がってきたのだった。子どもたちはぐたっとして、下りかけた階段を無言で数段上がった。父親はいつものとおりニヤニヤしている。
「ああ、お帰りなさい。お父さん凄いですね、ポケモンGO!」と僕は言った。
「あはははは」と笑って会釈しながら、父親は間際を通り過ぎていった。

子どもたちは父親の後にだらだらとついて上がって行く。
僕が「ちょっと、今度またやらせてよね」と言うと、「あさって遊ぼ! 時間あるから」と振り向いて言って、子どもたちは帰っていった。
あさってか。・・・実をいうと7月中、僕は多忙なのだ。
が、ポケモンは1匹くらいゲットしたい気もした。

二男と買い物に出て暗くなってから帰ると、先に帰宅していた妻と長男は楽しそうな様子だった。
しかし、僕がポケモンGOをリリース日に、家族で一人だけ経験してしまったことを自慢したら、妻はブーイングで、長男は瞬時に泣きべそをかいた。
妻は言った。「でも、私はスマホだから、やろうと思えばいつでもできるもん」
僕は言った。「そりゃ、やる気があれば誰だってできるさ。・・・やる気があれば、何でもできる!」
がらにもない猪木のモノ真似アレンジに、妻はつい笑って「面白い」とだけ感想を言った。



2016年7月14日木曜日

衆議院選挙のボロボロ用紙

本土では九州でも関東でも大雨がひどいとのことだが、沖縄は晴空が猛暑を連れてきている。

最近の私の日常は人と話すことが多い日々で、刺激が多く勉強になる。
反面、フォーマルが苦手で営業向けの性格でない私には疲労が溜まるのだろう、まいにち妙に眠い。

日本や世界のニュースにはあいも変わらず嫌な内容が多い。
テロの多発はきっと歴史の流れとして必然に近いものがあるだろう。しかし国内の殺人事件や何かには、発生率に必然性はあるのだろうか?
ポケモンGOの海外大ヒットは、いろんな問題が付属するといっても、比較的面白いニュースだった。天皇の生前退位の意向についても、問題問題いう人はいるだろうが嫌なニュースではない。

参議院選挙。
当日、「やっぱり、行きましょうか」と妻に声をかけて投票ハガキがどこにあるか尋ねた。
「玄関の棚の上にあったけど」というのだが、ない。「見当たらないけど・・・」と私はいいながら、やがて思い出した。
今回の選挙、あまりにも与野党とも魅力に欠けるため、私は早々にハガキを捨ててしまったのであった。基本、選挙には行く私が、だ。
ベランダに出してある紙ゴミのダンボールを漁ると、数日前に台湾方面に逸れた台風1号の雨でぐっしょり濡れた投票券が2枚出てきた。これを持って車で市役所に行ったのだが、いざ到着してみると、「あなたの投票所は近所の小学校です」と面倒なことを告げられてしまった。
この時点で妻は、「投票、いかなきゃダメなの~?」と舌足らずな女の子のように渋った。
「行くんだよ」と野太い声で私は言った。

小学校の体育館の半分が投票所となっていた。がらんとして静かだった。
住民リストに投票券との割印を押す係員に、住民リストを覗き込んで私が「投票率低そうですね・・・」と声をかけると、係員2名は言葉を発さずに苦笑した。
8ヶ月の子を抱きかかえながら議員候補者名を書き、5歳の子どもに投函させる。
係員が次の短冊を出してくれる。そういえば、七夕は5日前だった。
8ヶ月の子を揺すりかかえながら政党名を書き、5歳の子どもに投函させる。
書き入れるとき、小声で「どこに入れる?」と妻に訊いたら、私と違う政党だった。

子どもが、飴玉を貰ったといって駆け寄ってきた。
投票所の係員の一人が区長さんで、横並びの監視席から、満面の笑顔で手を振ってくれていた。人気の少ない静かな投票所に、われわれの世間話が響いた。場の雰囲気を気にして、互いに早めに話を切り上げた。
飴玉を握りしめて投票所スペースの向こうを全速力で疾走していたわが子を私は叱って呼びつけ、われわれ小家族は投票所を出た。
帰りに話したら、妻のいう政党に私は入れたのに、妻は私が言った政党に入れたという。「結局、票が割れちゃったよ」と二人で苦笑した。じつに、しょうもない選挙であった。

夜は着々と開票が行なわれ、テレビはそれに湧いていた。投票率はすこぶる低く、安倍総理大臣高笑いの自民圧勝に落ち着いた。逆に沖縄県からは、参院とも自民党の議席はなくなった。
私はべつに政治に期待なんてしていないので、特にどういというコメントはない。
先日、久しぶりに司馬遼太郎の講演CDを聞いたら、ちょうどそんな話を挟んでいた。こんな感じの内容だった。

「われわれ日本人は、みなさんそうでしょうけれど、政治に期待なんかしてないでしょ? 政治が世の中をどうこうしてくれるなんて、ほとんどの方、思っていないでしょう? その通りなんです。日本文化の礎のほとんどは室町時代にできましたが、将軍足利義政は飢餓が酷かった時に銀閣寺なんか造ってました。一方、じつは室町時代というのは日本史上最高の農業生産率を叩き出したけれど、政治権力主導ではなくて、農民が自ら工夫して成し遂げたんです。文化も農業も、政治なんか大して役立たないんですね」

デフォルメはあるだろうが、歴史小説の文豪が語るにしては面白い政治観であった。

いや、政治はいろいろ世の中を決めてしまう面もあるのだから、無視できないし無関係でいられない。それは分かっている。
けれど、世の中をどうしてほしいと政治に期待しても、十中八九はうまくはいくまい。われわれ日本人の大半は、白けるのは得意でも、自分のリーダーさえまともに立てられない始末なのだ。
であれば、カネと武力を謳う連中が、物的生活の豊かさと自分の安定だけ考える人間の多くを惹きつけるのは、ごく自然な流れでもあろう。

つまり有意味な選挙なんてそもそも、そんなにないわけだ。
そして、「民主主義」元来の汚れがまだ落ちきっていないことも、多分その一因なのである。だから「帝国主義」へと世の中は向かうのだが、それでよいはずもないのだからどうしようもない。いちばん明るい話題はどうしたってポケモンGO、みたいなことになっちゃうのだ。