いやぁ、この路線で本当にいいのだろうか?
そう考えてしまうのが、新しくはじめたばかりのブログ「デカルトの重箱」だ。
このブログ、ちまたで語られ引用されるデカルト関連の記事を取り上げて、おかしな点や気づいた点をちょいちょいつっつく、というコンセプトではじめた。
でもそのうちに、「素晴らしい!」「参った!」という肯定的な感想もどんどん書きたいとは思っている。
とにかく、デカルトに関して得意満面で書いていても、おやおや?という知識人が多いので、そこを指摘したいと考えたわけである。
デカルトは、哲学の入門に最適な題材だ。
だが、「基礎」というのはついつい甘く見てしまうのが人間である。
「基礎」だからといってたらたら読んでは、ひょいっと足元をすくわれる。
だからこそ知識人の大御所の、そうした足元をすくって、アカデミズムの鼻をひとかじりしてやろう、と思ってはじめた。
だが、始めてみると、これはひどい噛みつきブログになっている。
手当たり次第に噛みつくスッポンといった様子になっている。
自分でそう思うのだから、過激なブログだ。
無謀であろう。
自他ともに知識人を標榜する著名人たちの作品・意見・思想に対して、デカルトを糸口に、真っ向から知的誤りを問い詰めていくのだ。それを書く自分の方はといえば、日々無学にさいなまれ、無知に鬱々としている、ひとりの一般大衆なのである。
けれど、おそらくこれでいいのだ。
相手が大衆だからといって、甘く見ていてはダメなんだな、と傲慢なる知識人には知っていただかなければならないと心に決めて、今日も本を手にブログを書こう。
2014年6月10日火曜日
2014年5月29日木曜日
「河西大地の手植えノートwebsite」のURL
申し遅れましたが、このたび自称“気まぐれ執筆家”の私が、自身の散在する興味分野について調べたり書き散らしたことを、ひとところのウェブサイトにまとめました。
このブログも、それに伴ってはじめました。
「河西大地の手植えノートwebsite」のURLは、
kasainote.net
です。
(追記:2014年5月23日~2017年4月までは、kasainote.asia/ でした。)
どうぞお時間のあるときに、覗いていただけたら幸いです。
“気まぐれ執筆家”というイイ加減な肩書には、いろんな意味合いがこもっています。
シンプルに「執筆家」というには、(私的なことを除き)書かない期間が多い事実。
「職業執筆家」というには実績が足りないこと。
四方八方飛んでしまう興味。
また大それたことを臆さずに言えば、プロ意識よりも、アマチュア意識を生涯大切にしていきたいという意識。これにはもちろん賛否両論好き好みあるでしょうし、たとえば責任の重い職業人にはあてはまっては困る意識でしょう。
けれど、プロ意識がプライドと責任感で成り立つと同時に限定された(とくに経済的)社会性の上に成立するものであることから、私にそれは合わないという直感があります。
私は旅が好きですし、コーヒーを飲むのも好きですが、これらも気まぐれな感覚で行動するもので、それと似た感覚で、物を書いていきたいのです。
もちろん、真剣に、です。
そこはきっちり責任を持ちます。
このブログも、それに伴ってはじめました。
「河西大地の手植えノートwebsite」のURLは、
kasainote.net
です。
(追記:2014年5月23日~2017年4月までは、kasainote.asia/ でした。)
どうぞお時間のあるときに、覗いていただけたら幸いです。
“気まぐれ執筆家”というイイ加減な肩書には、いろんな意味合いがこもっています。
シンプルに「執筆家」というには、(私的なことを除き)書かない期間が多い事実。
「職業執筆家」というには実績が足りないこと。
四方八方飛んでしまう興味。
また大それたことを臆さずに言えば、プロ意識よりも、アマチュア意識を生涯大切にしていきたいという意識。これにはもちろん賛否両論好き好みあるでしょうし、たとえば責任の重い職業人にはあてはまっては困る意識でしょう。
けれど、プロ意識がプライドと責任感で成り立つと同時に限定された(とくに経済的)社会性の上に成立するものであることから、私にそれは合わないという直感があります。
私は旅が好きですし、コーヒーを飲むのも好きですが、これらも気まぐれな感覚で行動するもので、それと似た感覚で、物を書いていきたいのです。
もちろん、真剣に、です。
そこはきっちり責任を持ちます。
2014年5月26日月曜日
じめじめの沖縄と古本アレルギー
今日の湿度はひどく、雨がふりそうで降らない空がもどかしい。
窓を開けると心地よい風が入ってくるが、湿っているために床がぺたぺたし、本や紙はしなしなとへたってしまう。
昨日、2台めの除湿機を購入した。
沖縄に住むということは、虫や湿気や黴と戦い続けるということでもある。
とはいってもアリや蛾や蜘蛛はむやみに殺さない。殺生するのは蚊の類。そして、将来的にはシロアリとなりそうだ。
湿気やカビとの戦い。それは凄まじい消耗戦である。
大切な本を持っていれば、なおのことそうなろう。
そういえば、古本のカビ臭のアレルギーに私は神奈川にいる頃から悩まされてきた。
そして、いろいろ試したものである。
いちばん効きそうだという情報が広まっているのが重曹だったが、これはどう使っても効力をはっきしてくれなかった。
私は結局、徹底的に物理的隔離を遂行した。
そうしなければ、ゼーゼーしたり、どんよりと体が重くなるからだ。
古本好きの古本アレルギーには、ほんとうに運命を恨んだ。
コーヒー好きなのにコーヒーでパニック障害を引き起こした時と同じくらい、運命が憎らしかった。
だから、物理的隔離といっても、部屋から古本をなくすわけではない。
大きなビニール袋にすべてを詰めたのである。そして、押入れに並べたのだった。
効力は充分だった。
しかし、これでは読むときにはやはりカビ臭でぐたっとやられるのだ。
私は考えた。
図書館で昔使っていた「曝本」(ばくほん)という言葉は、日や空気に古い本をさらす、という意味である。これをしなければ、と思った。
しかし、ただテーブルの上に開いておいても、アレルゲンを部屋中にばらまくだけであろう。
私は、お手製のアイディアを形にした。ベランダに、ワイヤーを五線紙のように巡らせて、背表紙が上に向くように本のページを引っ掛け、微妙に開いたような形で干すのである。
これが、決定的な古本アレルゲン除去方法である。
私は古本をむしばむ黴に勝利した。
窓を開けると心地よい風が入ってくるが、湿っているために床がぺたぺたし、本や紙はしなしなとへたってしまう。
昨日、2台めの除湿機を購入した。
沖縄に住むということは、虫や湿気や黴と戦い続けるということでもある。
とはいってもアリや蛾や蜘蛛はむやみに殺さない。殺生するのは蚊の類。そして、将来的にはシロアリとなりそうだ。
湿気やカビとの戦い。それは凄まじい消耗戦である。
大切な本を持っていれば、なおのことそうなろう。
そういえば、古本のカビ臭のアレルギーに私は神奈川にいる頃から悩まされてきた。
そして、いろいろ試したものである。
いちばん効きそうだという情報が広まっているのが重曹だったが、これはどう使っても効力をはっきしてくれなかった。
私は結局、徹底的に物理的隔離を遂行した。
そうしなければ、ゼーゼーしたり、どんよりと体が重くなるからだ。
古本好きの古本アレルギーには、ほんとうに運命を恨んだ。
コーヒー好きなのにコーヒーでパニック障害を引き起こした時と同じくらい、運命が憎らしかった。
だから、物理的隔離といっても、部屋から古本をなくすわけではない。
大きなビニール袋にすべてを詰めたのである。そして、押入れに並べたのだった。
効力は充分だった。
しかし、これでは読むときにはやはりカビ臭でぐたっとやられるのだ。
私は考えた。
図書館で昔使っていた「曝本」(ばくほん)という言葉は、日や空気に古い本をさらす、という意味である。これをしなければ、と思った。
しかし、ただテーブルの上に開いておいても、アレルゲンを部屋中にばらまくだけであろう。
私は、お手製のアイディアを形にした。ベランダに、ワイヤーを五線紙のように巡らせて、背表紙が上に向くように本のページを引っ掛け、微妙に開いたような形で干すのである。
これが、決定的な古本アレルゲン除去方法である。
私は古本をむしばむ黴に勝利した。
手植えノートMemo ブログを始めます
はじめまして、Kasai Daichi と申します。
ブログを今から始めます。よろしくお願いいたします。
こちらのブログには、私自身の日々の活動や雑感などを載せます。
今流行りの twitter も Facebook も、ちょっとしかやっていないので、その代わりにここに少しずつ書く計画です。
この度作りました『デカルトの重箱』 Blog を含めて、私にとってはこちらの『手植えノートMemo』 Blog は、数えてみれば5個目のブログですが、自身で用途やコンセプトを覚えておかないと、すぐに何でもかんでも帳になってしまうので肝に銘じております。
さて、「手植え」(てうえ)という語はめったに使わない言葉ですが、稲を植えたり、植樹したりというのを本人がやる、ということでございます。「酒匂川の岸に二宮尊徳手植えの松がある」とか、「天皇陛下お手植えの桜」とかいうようですが、偉い人限定の用語ではありません。
2014年5月下旬に始めた私のウェブサイト『河西大地の手植えノートwebsite』は、あちらこちらに飛んでばかりの私の興味分野を統合したホームページです。
興味分野は大きく分けて3つ。すなわち沖縄のガラス、デカルト哲学、絵点字フォントと今のところなっています。いずれも、元々あった文化や知識やモノですが、そこにプラスαして付加価値のつくような新たな活動をしていく、というのが私の行動スタイルになっています。
すでに豊かなフィールドがあり、そこに私自身の手で新しい苗を植えていく……そのような決心、そのような方向性をニュアンスとして題名に込めました。
ブログを今から始めます。よろしくお願いいたします。
こちらのブログには、私自身の日々の活動や雑感などを載せます。
今流行りの twitter も Facebook も、ちょっとしかやっていないので、その代わりにここに少しずつ書く計画です。
この度作りました『デカルトの重箱』 Blog を含めて、私にとってはこちらの『手植えノートMemo』 Blog は、数えてみれば5個目のブログですが、自身で用途やコンセプトを覚えておかないと、すぐに何でもかんでも帳になってしまうので肝に銘じております。
さて、「手植え」(てうえ)という語はめったに使わない言葉ですが、稲を植えたり、植樹したりというのを本人がやる、ということでございます。「酒匂川の岸に二宮尊徳手植えの松がある」とか、「天皇陛下お手植えの桜」とかいうようですが、偉い人限定の用語ではありません。
2014年5月下旬に始めた私のウェブサイト『河西大地の手植えノートwebsite』は、あちらこちらに飛んでばかりの私の興味分野を統合したホームページです。
興味分野は大きく分けて3つ。すなわち沖縄のガラス、デカルト哲学、絵点字フォントと今のところなっています。いずれも、元々あった文化や知識やモノですが、そこにプラスαして付加価値のつくような新たな活動をしていく、というのが私の行動スタイルになっています。
すでに豊かなフィールドがあり、そこに私自身の手で新しい苗を植えていく……そのような決心、そのような方向性をニュアンスとして題名に込めました。
登録:
投稿 (Atom)