2016年8月31日水曜日

「南風原文化センター」にて

二、三日前。もうすぐ長男5才の夏休みが終わるので、近所の子どもらも一緒に車にのせて、どこかへ連れて行くことにした。
といっても大したアイデアはない。
『あそぼん』という、沖縄県内の子供の遊び場が掲載された雑誌を、後部座席の子らに手渡し、どこへ行きたいか決めさせた。
彼らはわーわー言いあいながら、車で30分ほどの距離にある住宅地の中の「国場川くねくね公園」というところに行きたい、と言った。

辿り着いてみると、ただ川沿いの住宅地の隙間を縫って、遊具や運動具や芝生が配置されただけの公園だったのだが、子どもたちは、
「ほんとうに、道がくねくねしてる!」
などといって大はしゃぎだ。5歳とか10歳というのは単純でよい。


その後、日差しも強いし学習もさせたいので、「南風原文化センター」という展示施設に連れて行った。ここは2度め。小学生は150円、大人は300円、こども園の子供らは無料。

入口から第二次大戦時の壕(ガマ)の野戦病院のレプリカが作ってあり、その中を歩くのも子供には怖い。長男は、その暗暗とした木製二段ベッドに体験的に寝そべることすらできない(上段には包帯巻きの負傷兵が寝ている)。
私は、「こんなこともできないほど弱虫なら、連れて帰らないぞ。戦争の時はもっともっと怖かったんだから」などと言ってうながした。
(翌朝、長男は「昨日の南風原文化センターのが怖すぎて、思い出してよく眠れなかった」と言いながら起きてきた。・・・)

その後子供たちは、「昭和の遊具コーナー」でひとしきりケンケンパをしたり、竹トンボを飛ばしまくってよく遊んだ。
なにげなくも、よい夏休みの過ごし方だっただろう。

施設を出る前にトイレに行った。用を足していると、目の前に張り紙がしてある。
トイレはきれいに使いましょう、とか、あるいは催し物のお知らせかな、などとぼんやり思いつつ、目を向けた。


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  人は不合理、非論理、利己的です
  気にすることなく、人を愛しなさい

  あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
  気にすることなく、善を行いなさい

  目的を達しようとするとき、邪魔立てをする人に出会うことでしょう
  気にすることなく、やり遂げなさい

  善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう
  気にすることなく、し続けなさい

  あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
  気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい

  助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
  気にすることなく、助け続けなさい

  あなたの中の最良のものを、世に与えなさい
  蹴り返されるかもしれません
  でも気にすることなく、最良のものを与えなさい

                      マザー・テレサ

 ―――――――――――――――――――――――――――――


はからずも胸に沁み、すがすがしい気持ちでトイレを出て、帰途についた。

帰ったあと家族でラーメン屋に行った。ラーメンを待ちながら、妻に何の気もなしにそのことを話した。
「トイレに張り紙がしてあってさ。マザー・テレサの言葉で、いいことが書いてあって感動したよ」
話をそこで終わりにしたら、「ンで? なんて書いてあったのよ」と訊く。
暗記などしていないので私も言いよどんだ。二三、こんな風だったと我流で再現すると、妻は、
「いまのだけで感動しちゃった。うちのトイレにも貼ろ!」と言った。

私には、マザー・テレサと耳にすると、ついつい口してしまう話がある。
ちょうど10年前、ひとり旅でインドを訪れた時の思い出話。1週間ばかりコルカタ(カルカッタ)に滞在した折、マザー・テレサの建てた「死を待つ人々の家」のボランティアに参加したときのことだ。

毎朝、韓国人・日本人・西洋人の若者やおばさんの群に混じって安宿を出て、ぞろぞろと近所の教会に集まり、バナナ1本・牛乳1杯をいただいてから、配属された施設に向かって汚い街を歩いて行った。
歩くこともできない老人ばかりのベッドの並んだ施設。ボランティアたちは全身びしょ濡れになりながらせっせと素手で洗濯をし、急いで食事を作り、与え、あとはホースとブラシで大々的に床掃除。一連の作業はお昼頃に終わって、安宿に戻るのであった。

別の施設に配属された日は、そこがいわゆる「死を待つ人々の家」だった。
薄暗い石造りの教会のような、ちょっと雰囲気のよい荘厳な施設の中に、やはり老人ばかりのベッドが並んでいた。
そこでは老人たちに食事を食べさせたり、痩せた手脚をクリームでマッサージするのが仕事だった。ふむ、こういうふうにやるんだな、とコツを掴んできた頃、私は職員のお兄さんにおもむろに「あんた、来い!」と呼ばれた。
なんだろうと行ってみると、隣の小部屋に導かれた。腰巻き一丁のお爺さんが1人横たわっていた。
遺体安置室だった。
「彼は昨日、死んだんだ。そっち持って!」
え?え?ええっ?・・ 私はうろたえた。いきなりで、唐突すぎた。
しかも素手である。じつは何を隠そう、私は大の死体嫌いなのだ。
「はやく!」
老人の身体はすでに硬直していた。私は訳も分からず両手で老人の両脚を持ち、外の車まで一緒に運んだ。手も腕も脚も震えて仕方がなかった。放心状態に近かった。
が、とても不思議に感じたのは、老人の顔が爆笑したまま固まっていたことである。
亡くなった瞬間、すごく面白いことがあったのだろうか?
あるいは、すごく幸せだったのだろうか?
それとも逆に、・・・すごく辛くて、こういう顔をしたのだろうか。

その夜、いつものように安宿の屋上に出て涼みながら、旅人たちとまったりと話していた。
私は遺体運びの話をした。みな笑って聞いていたが、旅慣れた1人がこう言った。
「それは良かったですね。インドでは、遺体運びを任されるということは、とてもラッキーで、名誉なことなんですよ」

「そうなんですか!?」と私は驚いた。「へぇー」とその場の一同は新知識に感心した。
「じゃあ、よかったじゃないっすか!」と、おちゃらけた青年は言って、私の背中を叩いた。
「いいな~」「いいな~」と女の子たちは口々に、心にもなさそうな言い方で言った。

淡い談笑の印象に包まれた若い旅の日々は、遠ざかり、もうどこにもない。

  *

連れて行った子供のひとりが水筒を忘れてきたので、翌日また「南風原文化センター」へ、こんどは家族で出向いた。「昭和の遊びコーナー」でフラフープに挑戦したとき、その子は水筒をそのへんにひょいっと置いたのだ。
子供というのは面倒だ。

ついでだから、トイレでマザー・テレサの言葉をデジカメに収めてきた。
ここへまた来たのも無駄足ではなかった、と思った。

外に出ると青空が広々として美しかった。大きなちぎれ雲が動いていく。
湿った風が吹いていて、気持ちが清々する。
わが小家族は歩きながら、みな、日に照らされ、風に吹かれて心地よさそうだ。

関東で猛威を振るっているブーメラン台風10号が、遠く沖縄にも風を吹かせているのである。空が、どこまでもつながっているからだ、――などと当たり前のことを考えていた。





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