2017年8月9日水曜日

月蝕を見た

一昨日の夜中、午前4時前。私は夜更かしをしていた。
日付は8月8日になっていた。ふとニュースを思い出し、南のベランダに出てみると、先日沖縄本島を外れていった台風5号が、まだ柔らかく吹き残っていた。

満月のはずの月が欠けている。
同じく夜更かしをして床についたばかりの妻を呼んだ。
しばらく一緒に月蝕を見ていた。
妻は不思議がりながら、月蝕の仕組みがわからないと言うので、内心(ええっ?)とは思ったものの、あれは地球の影なんだ、とだけ私は言った。

月蝕はいつも満月に起きるの?
どれくらい珍しいの?

などと質問されて、たぶん月蝕はいつも満月だな、数ヶ月か数年にいちどくらい見れるんじゃないかな、と曖昧な返事しかできなかった。
妻がベランダを去り、私は15分くらい月を見たり、デジカメで撮ったりしていた。

ぼんやり考えて、やはり位置を思えば、月蝕のときは満月で、日蝕のときは新月だな、とイメージした。2回かじったマカロンのような蝕などは見たことがない。
午前4時を回り、まだ月は欠けていたが部屋に戻った。

次の月蝕は来年の1月だとか。






2017年7月28日金曜日

火球を見た

今日は偶然いつもとは違う子どもたちと息子たちとのやり取りがあって、半日わいわいと楽しい時間を送った。私にとっては、生活や仕事や行動に大いに悩みながら、わいわいと子供らと過ごす日でもあるという点では、まったくいつもと変わらないのではあったものの、子供らや親御さんとわいわい話したりして喉がガラガラになった。楽しかった。

さて、そんな一日も暮れていった2017年7月27日夜9:15頃、糸満市からみて西の空をふと見上げた時、私は生まれて初めていわゆる「火球」を見た。
幽霊としての〈火の玉〉ではない。
流れ星の大型版としての〈火の玉〉だ。

私は次男を抱っこしながら、ふいに、次男がぼーっと見ていた先を見やった。
その光は、一見して飛行機だと思った。
しかし飛行機にしては輝きが星に似ており、かといって星としては大きすぎる白い発光体で、ゆったりと斜めに落ちるように移動していく。その動きはかなり低速だったが、人工衛星よりは早かった。
私の「あれ?」という声で、妻と長男も見上げた。
そしてそれは、のろのろと落ちる大きな流れ星となって輝きを増したと思ったが、すぐに消えていった。

何であったかは分からない。
隕石か人工衛星が大気圏に突入して燃えたのかもしれない。
何のニュースも検索で引っかからないので、きっとミサイルの類ではない。
これが〈火球〉というものなのだろう。

2017年4月2日日曜日

ホームページのURLがkasainote.netに変わります

ちょっとしたご連絡です。
ホームページ「河西大地の手植えノートWebsite」のアドレスが、ちょっとだけ変わります。

 kasainote.net

になります。
(これまでは www.kasainote.asia だったので、最後のドメインが変更になるだけです。)
なお、最初にwww.をつけてもOK、http://www.をつけてもOKです。
では、お手数ですが本日4月1日からは新URLにご訪問ください。
(なお、現在のURLは2017年5月23日で終了いたします。)



サーバー:さくらインターネット
ドメイン:お名前.com

2017年1月8日日曜日

本の虫の種類


あけましておめでとうございます。2017年、はりきっていきましょう!
まず、なかなか知られていないと思われる、「本の虫」についての有意味な情報を。
本好きの私が長年知らずにいて、やっと最近のインターネットで他人の受け売りを掻き集めて手に入れた、シンプルかつ合点のいく知識です。

今年は本をたくさん読もう。一年の計は元旦にあり。積んであった本を手に取る。
すると・・・
な、何かいるっ!
本の見返しの真ん中を、小さな白い点としての動く蟲が1匹・・・
柔らかな小さな白点が、黄ばんだ紙面を爆走していく。君の名は。

「ボクの名は、“チャタテムシ”!」
などともちろん言うはずもないが、誰が命名したのか“茶立虫”とは風情あるネーミングじゃのう・・・。
などと茶人のように澄ましたことを言っていると、たちまち本のどこかへ逃げていってしまう。
待て待て待て! 本のページによく出現するので、「本シラミ」とも呼ばれている。
でも、本を閉じたりすればすぐに潰れて死んでしまうのでベランダへ急ぎ、フッと一息で外へ追い出した。正月早々の殺生はしたくない。

これはきっとダニの一種だな。
――そう思っている方がほとんどでしょうが、そうではないのです。
なんと昆虫とのこと。古本のみならず、畳とか障子とか、そういった「和風な」場所が好きらしい。粋な奴だ。しかも障子でシャカシャカ音を立てるそうな。
シロアリに似た形で体長2mm以下。カビやらフケやら、そういう汚いものを食べて生きている。本への害はあまりないという。糞や死骸がアレルゲンになる可能性はあるとのことで、そういう理由でご退去願いたいところではある。

  *

さて、お次の虫は?
私たちが沖縄に引っ越してだいぶ経った頃のある日、家内がキャーキャーと騒いでいた。
「ナニコレ!? きゃーっ、来て!」
どれどれ、そんな小娘みたいなお声で主人を呼ぶなんて可愛いヤツめ、と思いながらおもむろにいってみると、妻は目をまん丸くして棒立ちしていた。そして押入れを指差し、もう一度確認するために恐るおそる奥を覗き込んだ。
「何か変な虫がいるの!」
「どれどれ」
私は落ち着いた表情で押入れに頭を入れたのだが・・・
「わわっ! な、なんだこいつはっ!」
初めて見る奇っ怪な微小動物に仰天した。そしてうろたえた目でおずおずとしながら、
「宇宙からやってきた生物なんじゃないか?」とまで口走った。

銀色にギラギラした5mmほどの体をくねくねさせて、隅っこを走っていく。速い。
鎧(ヨロイ)のような鎧戸のような、まぁダンゴムシ状の構造をしている虫なのだが、極めて小さくて少し長細く、そしてうねうねと~~~~~という動線を描いてひらひらひた走り、けっきょく小さな隙間の中に消えていった。

やがてコイツは頻繁に現れるようになった。
広告紙に誘導して外へ逃がすのだが、手元が狂ってちょっと紙を上に乗せただけでも体液を出して死んでしまうのがやっかいだった。ヨロイが役に立っていないではないか、と私は思う。
だがこの生き物が何なのかまったく見当がつかず、ネットでも調べがつかず、「漫湖水鳥湿性センター」という博物館に出向いた際に昆虫に詳しいお兄さんにも訊いたが、わからなかった。わからないというよりも、そもそもコトバで伝わらないのである。
「それは、昆虫なんですか?」
と博物館のお兄さんに問われた。
「昆虫ではないと思います。何科の生き物なのか、何というか何とも形容しにくいんですけれども、銀色で、うねうね素早く動いて、ヨロイみたいな背中で。いや、雰囲気的にはフナムシがいちばん似ているかな。でも背中はダンゴムシとか、ゲジゲジとか。そんな仲間だとは思うんですけど、とにかく小さくて速いんです。まるで宇宙から来た生物のような、SF的な何かなんです! 私も40年近く生きてきて初めて見ました」

まず私としては、人間に害があるのかないのかが知りたかった。
うちには一応、ヒト科ヒト属の5歳と0歳が2匹生息している。心配だ。
たとえばそれが刺してきたり、噛み付いたり、体内に入り込んだりするのかどうかをまず知りたかった。けれども、その虫が「一体何なのか」さえわからない。やがてその虫が、とくに私の古書の隙間から発見されることが多くなったのだった。
どうしたらいいのだろう?!

そんなある日。
私はいつものようにタブレットで松岡正剛『千夜千冊』ブックガイドブログを読んでいて、ある年末の書庫掃除について書かれた文章に出会った。

 「スタッフ総勢と編集学校の諸君が手伝いで参加して、今年も一斉に埃りを拭いてくれた。紙魚までは落とさない。」(1214夜『司書』)

「紙魚」とは何のことだろう?
調べると「シミ」と読むらしい。
そう。結論からいうと、これこそが私の家の隙間や私の古書の間から出てくる小さな生き物正体だったのである。
紙魚(シミ)――シミ目は、なんと「最も原始的な特徴を持った昆虫」なのだという。そうか、彼らは太古の昔からいる生きた化石としての昆虫だったのか~! だからSF的な容姿だったのか。
たしかに、よぉ~く見ると、触覚や尾っぽが2つ3つ出ている以外は6本足にみえる。小さくて細いから、シルバーの鎧の背中しか認識していなかったが。英語ではSilverFishなのだそうだ。

シミにも色々いて、よく見るのはその非常に小さな種類、まぁ多分「セイヨウシミ」だと思う。沖縄にはキボシアリシミというのがいるらしいが、体長1.3~2mmの微小種とあるがウチのはもうちょっと大きい。体長はだいたい3~6mm。
で、これが何なのかというと、知れば知るほど面白い。

 参考:→ウィキペディア「シミ目」

原始的な昆虫なので、羽が生えたりはせず、一生同じような形なのだそうだ。
まず、ほぼ人間には「無害」とのこと。そして、本の糊(のり)の部分を食べる。書籍の紙の部分は、ほとんど食さない。
私が驚いたのは交配の方法だ。オスは精子を入れた袋をおもむろに置いていくのだそうである。メスはそのプレゼントを見つけて静かに受け取る。――種の数の少ない最古の形をとどめた原始の昆虫は、こんなに上品な子孫の残し方をしているようなのだ。
見た目がグロテスクだから何だというのだろう? 人類よ、愚かなり!

  逃るなり 紙魚の中にも 親よ子よ ―― 小林一茶

              
                  2017年1月、わが家の隅を歩いていた紙魚。

ところで、この紙魚という生き物、わが家に出るセイヨウシミでは6mm以上のを見たことがないが、原理的には死ぬまで脱皮を続けて成長するという。一体どれくらいまで大きくなるのだろう?

 参考:→「シミの種類」

成虫が最大で17mmという記述がある。
が、私の経験談を話せば・・・6cmはあった。
一昨年、東京の古書店からネットでヴィンデルバントによる『一般哲学史』(全4巻)を取寄せたことがあった(井上忻治訳、1941(昭和16年))。大きめの図書で、一冊ずつが箱入りだったが、そのうちの1冊を抜き出した時、フナムシを長くしたような巨大な紙魚が2匹、チョロチョロと出てきたのだった。つがいだった。6cmと4cmほどだったから、それを見たことのなかった私は悲鳴を上げ、すぐにベランダから外に放り出してしまった。
沖縄県の那覇市内にある古書店でも、同じくらいの大きさの同じような紙魚のつがいを見た。その時は、(あ!またコイツらだ)とは思ったが、その動きに驚いて本を手放すと、1匹がそれに少し挟まれたのだろう、体液が周辺の本に付着した。巨大な紙魚は逃げていったが、生き延びたかどうかはわからない。いずれにしても、せっかく夫婦で本の隙間で静かに暮らしていたのにと考えると心が痛んだ。なぜあんなにグロテスクな生き物なのに、かようにか弱い肢体なのか。不可解に思ったものだ。

  *

さて、問題児は次の昆虫で、その名も「死番虫」である!
ウィキペディアによれば、シバンムシは死の番をする虫 "death-watch beetle" に由来する。カチ・カチ・カチ…と音を立てて雌雄で交信を行なうのだが、これが死神の秒読みの時計に聞こえたところからネーミングされたという。すでに恐ろしい。

この昆虫のカタチについて、素人の私のイメージを示したい。
まず、カブトムシのメスやフンコロガシを思い出してほしい。だいたい体長6cmとしよう。
甲虫の中でも、あの少し縦長で丸っこい、特徴のあまりないといえばないノーマルなつまらない形だ。
これを、2.5cmまで縮小してカラフルにすれば、カナブンとかハナムグリの形になる。
さらに0.7cmまで縮小すればハムシの仲間になる。よくタンポポの花びらにくっついている。
それを、さらに縮小して0.3cmにすると、それがこのシバンムシなのだ!

江戸の和綴本をひらくとページにミミズ状の穴がたくさん開いているのをよく見かけるが、その犯行に及んだ真犯人がこのシバンムシなのである。本好きにとっては敵だろう。
ウィキペディアによると、世界で約2,000種、日本から62種が記録されている。カミキリムシに似た形の仲間もいる。

思い出してみれば小学生だった頃、教室の木製タイルの床の隙間に、黒くて極微細な甲虫を見かけたことがあった。女子が「ペペちゃん」という名前をつけていたのが私には印象的だった。これがシバンムシだったのだ。
畳にごく小さな円い点の穴がポツリと開いていることがあるだろう。あれも、こいつの仕業だそうだ。
このように家屋や書籍を食害するのは、シバンムシの幼虫である。白いイモムシ状の幼虫らしいが、私は本の中に住んでいるそういう生き物を実際に見たことはない。

図書館では年に一度、「蔵書点検」といって2週間だの1カ月だの平気で休むことがある。これはいわば棚卸し作業をしているわけだけれど、昔は「曝本期間」と言ったそうだ(12年前に図書館でアルバイトをしていた時に聞いた)。年に一度、日や風に本を曝(さら)して虫干しするのだった。何の虫を追い払うのかといえば、この図書本体をアリの巣状に喰らうシバンムシであろう。糊を食べるシミも追い出すにこしたことはない。

 *

「本の虫」といえば書物周辺に生息する生き物(見てきたように、チャタテムシ・シミ・シバンムシなど)をさすばあいと、それに引っ掛けるようにして、愛書家読書家の類をさすばあいとがある。
後者についえ言えば、私のように「充血が・・・」とか「ドライアイで体調まで・・・」とか常々嘆いている中途半端な人間には荷が重いので、それは今回は語らないでおこう。事実として、世の中にはとんでもなく多量の本を読む方が、けっこうおられる。

ただひとつだけ根本的な問題をいわせてもらえば、それは「読書好き」が良いのか悪いのか、ということだ。
世の中を良くしたい、良い人生を歩みたい、と思ったら、やはり先人や専門家の知識を糧にして思考を重ねることだろう。
となれば、やはり本に勝る媒体はない。図書館にも本屋にも通って、これはというものをどんどん読むし、自然とその人の書棚も大きくなっていく。
ところが。
読書家がそうでない人々と比べて“魅力的な人間”になっていくかどうかといえば、諸兄も同意見かと思うが、全然そんなことはない。
無学な人が暖かな心の持ち主だったりすることは多々ある。金持ち連中が全然本を読まなかったりする。
そしてむしろ読書家に多いのは、偏屈な意地悪爺さん、高慢チキな学者、高圧的な説教婆さん、他人無視の冷淡な文学少女、集中弾丸トークのマニアック青年、情報出し渋りの優等受験生などで、挙げ連ねればイイ奴なんかむしろ少ない気がしてくるくらいだ。

また、本を執筆する人の多くは読書家だろうけれど、作家や哲学者がこれまたDVしたり、生活無能者だったり、精神疾患ひいては自殺が少なくないことも、(ホント、なんのための知識だよーっ!)と叫びたくなる。
そして、16世紀ヨーロッパに登場した、怪しい放浪の魔術師であったネッテスハイムのアグリッパという人がこういったのを思い出してしまう。

 「無学な者は昇り、天上に運ばれるが、われわれは、われわれの学知とともに地獄に沈むだろう」

以前ブログに書いたが、デカルトも本を離れて現実世界を読めとか、尊徳二宮金次郎も書籍を尊ばず天地を経文とせよ、などと言っている。なお、2人ともとんでもない読書家だったから、どう解釈すればよいのか考えねばならないが、とにかく彼らは洋の東西こそ違え、まったく同じことを言っていた。

本は、――本というのは、諸刃の刃なのだ。
凡人の私もわかっているつもりだ。本や情報に人生全部を喰われないようにしなくてはならない。
それはたとえば、商売金儲けに人生を捧げたり、仕事人間で生涯を終えたり、パチンコに人生を費やしたり、ゲームに青春を捧げたりと同じことで・・・
「え? 仕事人間はいいんじゃないの? 金儲けも、悪くないんじゃないの?」

・・・本当にそう?

ま、まあ、生活無能者の私がどうこう述べる資格もないわけですので、・・とにかく「本の虫」、の話題でした。(汗)
今年もよろしく!





2016年12月28日水曜日

さよならレイア姫

昨日(2016年12月27日)『スター・ウォーズ』のレイア姫を演じたキャリー・フィッシャーが心臓の病気で亡くなったというニュースがあった。60歳とは早い。ショックである。
今年は、R2-D2の中に入って演じていたケニー・ベイカーも亡くなった。1977年最初作の『スター・ウォーズ』出演陣がどんどん亡くなるのは寂しい。

ついこの間の12月16日、元上司ら3名と一緒に『ローグ・ワン(スター・ウォーズ・ストーリー)』を観てきた。初日だが沖縄の映画館はけっこう空いているので真ん中後方の良い席で観られた。
この同じメンバーで昨年12月にも『スター・ウォーズ フォースの覚醒』を公開3日目に観た。
だからこのメンバーになると、必ず『スター・ウォーズ』論評が飛び交う。一致した意見は、やはり昔のエピソード4と5とが秀逸だということ。

問題となる不一致の意見は、ヒロインの評価である。他のみんなは「スター・ウォーズのヒロインは総じて魅力がない。辛うじてアミダラ女王はゆるせる」ということだが、私は「レイア姫もいいし、レイちゃんも、ジンちゃんもよかった」と好評価をもっている。「けっきょく、誰でもいいんでしょ?」と言われるオチになるわけだが、私はアミダラ議員があまり好みでない。
まぁ、いずれにせよ好みの問題である。
案外人気のないレイア姫だが、私にとって、彼女の雰囲気が『スター・ウォーズ』の大切な要素になっている。あのデス・スター設計図のデータをかがみ腰でR2-D2に仕込む時の、謎めいた幻想的な印象。ダーズ・ベイダーを前にムキになって強気発言をするツルツルお肌の表情。ジャバ・ザ・ハットに鎖で繋がれ・・・(おっと、もうやめておこう)。

2015年の『スター・ウォーズ フォースの覚醒』には、すでに皺くちゃのお爺さんお婆さんになってしまったハンソロとレイア(ハリソン・フォードとキャリー・フィッシャー)が頻繁に登場し、観客を沸かせると同時に失望させてくれた。
が、最新作のスピンオフ映画『ローグ・ワン』には、1977年のキャスト数名が当時そのままの顔立ちで登場する。若いレイア姫もラストに出てくる。CG処理(3Dレンダリングというデジタル技術)で人の表情まで再現できるようになったことを見せつけられた。これ見よがしだったが、まんまと驚いたし楽しめた。

なお、『スター・ウォーズ フォースの覚醒』は映画館で2度観たが、自分にとっても特大のインパクトを伴った娯楽だったのに、観終わるとスーッと面白さが減少するような印象が否めなかった。尻すぼみであり、詰めが甘すぎて、星はでかくてもストーリーが小さいと思った。突っ込みどころ満載なのだった。
今度の『ローグ・ワン』は、話自体はそもそも小規模なのだが、表現が細やかでリアリティある悲劇が再来し、とてもよかった。よかったのではあったが、インパクトは小さく、見終えて数時間もすると印象にあまり残っていなかった(同監督の『GODDILA』もそうだったから不思議である)。そういえば、今年めちゃくちゃ話題になったアニメ『君の名は。』も観ているときの幸福感に比べ、鑑賞後の印象は消えていくのが早かった。

それに比べると、1977年の『スター・ウォーズ』やその次の『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』は、観てから30年近く経ってなおも胸に沁みついているのだから凄い。いや、数か月前に子供と観たら、たしかに(案外子供じみている映画なんだな)とは感じた。私も大人になったのだ。10歳の頃「金曜ロードショー」のビデオ録画でみた当時は、映画の範疇を超えるほど強烈なイメージに打たれたものだった。これぞ、幸福な映画体験というべきものであった。



この年末年始は、家内と子供たちだけ実家に帰省しているので、私は静かにじぶんのすべきことを進めたり、ひもじくも悠悠自適に暮らしている。そんな私が寂しくしていると気遣って、元上司2人(53歳と26歳)がマクドナルドで色々買い込んでうちにやってきたのは一昨日のことだった。
じつはその前の日つまりクリスマスにも、その元上司のお宅のクリスマス会に呼ばれて夜中1時過ぎまでワイワイしていたのである。「連日じゃないですか」と私も嬉しさまぎれに呆れた。

で、その日最後のTV出演となるSMAPの話題は1度も出たりせず、いろんな話をかわしたなかに凝りもせず『スター・ウォーズ』の話題がけっこうあった。われわれはSW新作にああだこうだ文句を言いつつも、それぞれの家にスター・ウォーズのグッズは着実に増えているのだから困ったものである。2つ3つといったレベルではない。

私はEP盤の『スター・ウォーズ』のレコードを掛けた。いつか骨董市で1枚300円で買ってきたものだ。曲は「スター・ウォーズのテーマ」「酒場のバンド」「ダース・ベイダーのマーチ」「ヨーダのテーマ」のみ。私は「酒場のバンド」が一番好きだ。よく口ずさむ。ルークとオビワンがモス・アイズリー宇宙港近くで入り、ハンソロとチューバッカが初登場した、ならず者ばかりが集まる酒場“カンティーナ”で演奏されていたBGMだ。愛嬌ある名曲だと思う。
音質に非常にこだわりある年上元上司は、「盤が曲がってる」「盤に水拭きした跡がある」「直に手で針を落とせないの?」「スピーカーが酷すぎだ」「モーターの動きが不均等だ」「そういう所に(盤を)置くなよ」とうるさく注意する。
年下元上司は、長男のBB-8ラジコンで遊びながら分解し、バラしたまま内部車輪の動きをチェックして面白がったりしていた。

さて、元上司2人が注目したのは、私が使っている「スター・ウォーズ」デザインコラボのCampus大学ノート。5冊組で、地味だがペン画などがかっこいい。
「いくらしたの?」
「家内から貰った物だから分かりませんけど、普通のノートの値段かと思いますけど」
「結構凝ってるから、版権高いはずだよ」
「そうでしょうか?」 私は普通に雑記・日記ノートとして使用している。

「ああ、そういえばレイア、飛行機の中で倒れたよねえ」と年上元上司。
「ヤフーニュースでみました。大丈夫ですかね」
「どうだろうなあ。しかしやっぱりハリソン・フォードと付き合ってたんだな」
「暴露本を出したって記事、読みましたよ。でも前から公表はしてたみたいですよ」
「そーなの? ハリソン・フォードもころころ相手変えるからなぁ」
ゴシップ記事をコピペしたようなこんな会話もたしかにあった。2日後にレイア姫が亡くなってしまうなんて、やはり我々は思っていなかったのである。

だって、2017年の『スター・ウォーズ(エピソード8)』は、レイアがいなければ困るではないか(→ある記事によると、どうやら次回作の撮影は完了しているとのことだった)。
ああ、3Dレンダリングでどうにでもなるのか? いやいやいや。

・・・寂しいかぎりだ。



2016年12月15日木曜日

2016年末雑感メモ

年末が差し迫り、顔を合わせたり電話で話す知人友人とも「もう今年もあと少しだね」などといいあって、焦りを共感する季節になった。早い。タイム・フライズだ。

この頃の生活スタイルのせいであろう、めっきり友人と電話をかわさなくなっていたので、先日まとめて電話をかけたら誰も出なかった。家庭あり仕事ありでみな忙しいのだ。
時間差で掛けなおして来てくれたので話したが、聞くと多くの人が2016年末は何らかのトラブルや不運に見舞われていて、慌ただしくも気の毒である。

じぶんは割と問題はないなぁ、と思っていたものの、考えてみれば色々あった。特に、乗用車のエンジンオイルの調子が悪いのは気になる。先日交換しようとカーショップに行くと、なんと空っぽだった。オイルを注いでもらって、急いで修理会社に出向いたら、もしかするとかなり高額の修理になるかもしれないという。しばらく様子見だが、これが運転中に不都合を自覚しないのだからもやもやする。

それから、数日前には1歳になった二男の長風邪をもらって、完全ダウンした。
朝から晩まで、トイレと布団の往復しかほとんどしないでずっと寝ていた。葛根湯とノンカフェインのリポビタンDとミカンが一日の主食だった。頭痛、38.2℃の発熱、めまい。無意味な長い夢を延々と見て過ごしていた。
二男も風邪なので、食べては咳き込んで吐く、ということを1日で11回も繰り返し、いつもなら後始末や洗濯などを妻と連携プレーで済ませるところを、私は他人事と放って寝ていた。その慌ただしい事態が、はるか遠くに聞こえていた。食べさせれば吐く、というアルゴリズムが判明しているのに、なぜ妻は同じ愚行を絶え間なく繰り返しているのだろうか、とまぶたの裏でぼんやり不思議に思った。妻はあまりの手間と労力に、最後には発狂するかのように1歳児を怒鳴っていたが、まぁ、それくらいはにんげんだもの、である。

今は徐々に回復し、家族の生活ペースも概ね回復した。
子らは健やかである。長男は場の空気を読めないほど元気だ。
二男は咳をしながらも元気で、妻が寝かしつけてもいつまでも眠らず、夜11時頃には何度となく私の部屋へハイハイして来てしまう。その時は私は高校時代の友人と久々に長電話をしており、あまり相手をしてやらなかった。すると、やがて泣きわめく。
ケータイ片手に、長男を寝かしつけている妻のところに二男を連れて行っても、またハイハイして私の部屋まで来てしまう。その繰り返し、繰り返し、である。可愛いが面倒だ。
家内も憔悴しているので、私もやっと電話を切った。添い寝してやると、二男もすぐに眠った。長男はマザコンであるが、二男は両親ともいないとダメなタイプなのはわかっている。

日々、ちまたでは色々なニュースが流れているけれど、やはり良いニュースは少ない。
特にこの2日間のニュースでは、沖縄でもオスプレイが落ちたり壊れたりしているのに、アメリカ軍も日本政府も度を越した横柄さを露呈しながら開き直るという態度をくりかえしている。司法までも飼いならして辺野古の埋め立てを進めたり、無茶苦茶だ。
いったいこの国はどうなっているのかと、開いた口が塞がらないというか、塞ぎ込んでしまうというか・・・それでも安倍首相の支持率はけっこう高いままなのは、私の政治理解を超えている。ペンパイナッポーアッポーペンの面白みは理解できてきても、沖縄を取り巻く日本とアメリカの対応は理解しかねる。「大衆」云々という話ではないのである。

私の一案では、まずは新聞各社が、あのドローンタイプのヒコーキの名称を「オチプレイ」と全面変更するところから始めたらいいのかもしれない。統計学的には一般の米軍飛行機より落下しないので安全というが、こんなに頻繁に落ちている。奇妙な統計、落ちるべき設計、支配者の奸計というしかない。

まぁまぁの年だった2016年ももうすぐ終わる。
一年の計は元旦にあり。来年は良い年にしよう!

みなさま、2017年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


2016年11月9日水曜日

トランプ大統領の誕生

今日は朝から鼻風邪をこじらせて、ドリンク剤を飲み、パンプキンスープとミカンを食べて休んでいた。
目覚めると布団のなかでタブレットで読書をしていたが、もうすぐ1歳になる子どもがハイハイしてタブレットを奪いに来る。好きにさせるとスワイプを真似てさすが現代っ子らしい。・・などと感心もしたが、こちらは読書の途中なので、やがて奪い返す。すると絶望的な表情で大泣きした。

妻が息子たちを連れて買い物へ出かけ、私はパソコンの席に移る。
途中から、今日のアメリカ大統領選挙の開票が気になりだし、ネット速報で地図と棒グラフが、青と赤とに塗られていく様子をチェックしていた。ヒラリー・クリントンの青い民主党VSドナルド・トランプの赤い共和党。

接戦がずっと続いた。が、トランプのバーが先に過半数に近づいてきたので、私も布団に戻って、テレビ(NHK)をつけた。


日本時間午後2:35分。――大統領選の模様を中継するニュースの途中で速報が入り、AP通信がトランプ氏の勝利を伝えた。

今日は日本のみならず世界中の金融市場が乱れている。5ヶ月前のイギリスEU離脱を巡る選挙のときと同じだ。そしてついに、世間の予測と真逆の結果になる、というところまで同じになった。

私は苦笑した。
この選挙結果には、苦笑するしかない。

西側の大半の国々は動揺しているだろうが、日本政府もわたわたしているに違いない。何せ日本という国家は、政体としては敗戦この方ブレることなくアメリカ帝国の子犬だ。

先月の国連総会での「核兵器禁止条約の交渉開始に関する決議」では、なんと日本が、数少ない核兵器保有国に混じって「反対派」にまわったことがニュースになった。
世界唯一の被爆国が、核兵器の存在に賛成票を投じたのである。
私だって呆れ返ったが、一生懸命アメリカに尾尻を振る、見事なまでにぶざまな小国ニッポンは世界の注目を浴びた。「世界の軍事バランスが・・」などという言い回しは白々しくて、聞いているだけでも恥ずかしくなる。

そしてこれまで日本政府は、せっかくアメリカの言うとおりTPPも強引に推し進めてきたのに、当のアメリカの政策が変わってしまう。
TPPにトランプは反対なのだ。
また、せっかくアメリカ軍事力の傘下にいるのに、トランプは安保のためにもっと日本に金を出せというスタンスを発表しているのだ。
安倍総理はすぐさまトランプ氏に媚を売るメッセージを送った。そんな安倍さんへの国民支持率は過半数超えで高い。

けっきょく日米とも、金回りのことを豪語しまくる人間をこそ支持するということになっている。日米とも、過半数の一般市民の内面は「乞食化」しているのだ。

かくゆう私も、名前からしておふざけ路線のドナルド・トランプ氏が大統領選に勝利したという速報を目にして、ひとり苦笑した。
オモシロイと思った。
これからどんな世界情勢が展開していくのか、見当がつかない面白さ。
優等生ではなく、アホな人間が逆転勝ちして天辺を獲った面白さ。
アメリカ政府そのものがギャグになる面白さ。

いや実際には、つまらないことになるかもしれない。
ブッシュJr.のときがそうだったが、あれも半分ブラックジョーク的だった。世界中で戦争は激化の一途を辿ったのである。

共産圏(中国・ロシア)はトランプ勝利を本心では歓迎していると記者たちがニュースで話していた。
世界情勢はこれからどうなっていくのだろう?


私は自分の手回りのことをしていこう。
読まねばならないものがたくさんあるし、研究すべきこと、書くべきことがたくさんある。まずは自分の風邪を治さねば。
小市民には小市民のやるべきことがある。あたり前のことだが政治がすべてではない。



2016年10月16日日曜日

松岡正剛『千夜千冊』の誤字脱字批判


(名編集者・松岡正剛氏のことは、これまでブログに2度とりあげた。
 →・読書メモ(20160615)『国家と「私」の行方』(松岡正剛、春秋社、2015)
 →・デカルトの重箱blog 松岡正剛『国家と「私」の行方』、そして『千夜千冊』 )

私は今、松岡正剛氏の孤高かつ怒涛のブックガイドブログ『千夜千冊』の全読破を試みているが、このペースでいくと単純計算で5年以上かかりそうだ。
つまり私は、まだまだ序の口の段階にいる。

それなのに、すでにかなりの誤字脱字が散見される。
枝葉末節のことであろうか?
・・・だが氏は、なんといっても日本一の名編集者なのである。
不特定多数の読者に読まれている公式ブログの誤謬を直そうとしないというのは、一体どういう見解なのだろう? 正剛氏のような立場であれば、いくらだって生徒や弟子や従業員にチェック・訂正の仕事を回せると思うのだが・・

出版物なら、印刷後に誤記の訂正がある場合には、小さな訂正記事の紙が挟んであることもある。作り手・著者としては、満を持して世に問うたはずの本に僅かでも間違いがあれば、1秒でも早く直したいという気持ちになるのが自然だと思う。誤謬の訂正は礼節であり、プライドであり、そして良心である。

しかし、たとえば松岡正剛氏の『国家と「私」の行方』は2015年に出版された良書だが、2巻本に4箇所の誤記をみつけた。訂正記事について言及はない。ウェブサイトをみても何もない。
・『国家と「私」の行方』 春秋社ページ

さて、今年の3月に「ISIS(編集工学研究所)担当者様」宛に、「千夜千冊の誤植などについて」と題したメールを送った。
半年以上経つが、返事もなければ訂正もなされない。連絡がつかないということは、・・何なのだろう? ほとんど読者のいないブログの書き手である私だって、誤字脱字に気がつくと恥ずかしくて、すぐにでも直したくなるのに。

この『千夜千冊』ブログは、すでに分厚い豪華本としても出版されている。もしかすると出版の際に直されているかもしれないが(それについては私はチェックしていない)、今度なんと角川文庫にも入るというのだから心配になる。
それで、ここに私が個人的にメモした「『千夜千冊』訂正箇所」を以下に挙げておくことにする。

重ねて言うが・・・こういうことは、松岡正剛氏ご本人あるいは関連会社または出版社が率先してなすべきことのはずだ。
そして出版物と違って、ウェブ上のとくにブログは、その気があれば一瞬で直せる媒体なのである。

===========================
〈『千夜千冊』ブログ訂正箇所Memo/2016.10.16 時点=68読了/全1621夜〉
===========================

・番外録INDEX
「東日本大震災から5日後の2012年3月16日、」→2011年3月16日

・9夜
「アリストレス」→アリストテレス 2箇所

・18夜
下線足らず「インシュタイン著」→アインシュタイン著

・17夜
下線足らず「倉百人一首のような」→小倉百人一首のような

・16夜
「つなぎあわせてていく」→つなぎあわせていく

・125夜
「”ぼく”」→“ぼく”

・168夜
「解決しょうと」→解決しようと

・888夜
「します二人は」→します。二人は

・982夜
「イギリ人」→イギリス人
「左欄」→右欄

・994夜
「ととして」→として

・995夜
「recollectin」→recollection
「することころ」→するところ
「メンデレーフ」→メンデレーエフ

・1005夜
「アウストラピテクス」→アウストラロピテクス

・1095夜
「フルートを持つ」→フルートを持つ女 3箇所

・1187夜
「ケインノほうで」→ケインのほうで

・1251夜
「イノシシにはタタリ神という凶暴な神が憑いている。」→「憑いている」のではなくイノシシ自体がタタリ神に「なった」と思われる。
「アシタカは万事が納得できずにタタラ場にとどまることを決意する。」→アシタカは「納得できずに」ではなく、「状況を受け入れて」人間と森との架け橋となった、と説明するのが彼の表情からしても妥当であろう。同様に、サンは「人間を許すことはできない」と言ったけれど、人間であるアシタカを「受け入れた」という顛末だ。

・1262夜
「9割知覚」→9割近く

・1314夜
「ブラウンジング」→ブラウジング
「トマス・アクイナス」→トマス・アクィナス
「めぐっている。。」→めぐっている。
「Aからら」→Aから
「それわ体に」→それを体に
「言葉がゆきわたらせる」→言葉をゆきわたらせる

・1336夜
「スタフグレーション」→スタグフレーション

・1361夜
「正当化をもたらすのてはないかという」→もたらすのではないかという

・1362夜
「思えてくるだろうとということ」→だろうということ
「インドではヴィトリア朝に」→ヴィクトリア朝に

・1367夜
「返済すなくとも」→返済しなくとも

・1368夜
「算出」→産出 2箇所
「通過」→通貨
「国王ヒピン」→国王ピピン

・1399夜
「アリストレス」→アリストテレス

・1409夜
原発批判を含む文脈のなかに鷲田清一氏を取り上げてあるが、残念ながら、鷲田氏は反原発の立場を取っていない。

・1422夜
「歴史をつくてきた」→歴史をつくってきた

・1447夜
「食卓の上で0・38マイクロシーベルトを」「1マイクロシーベルトをいつも超えていた」→分母に時間単位がある方が断然ベター

・1456夜
「クリーン・エルギー」→クリーン・エネルギー
「大腸菌をつかってDNA組み替えて」→大腸菌をつかったDNA組み換えで

・1601夜
「多変量解析は多くの変数からなるデータを統計的な扱って」→統計的に扱って
「しかし、結局はこんなことしかかできないのである。」→しかできないのである

・1604夜
「ポビュリズム」→ポピュリズム
「ますまず」→ますます

・1605夜
「植物ガ」→植物が
「編集工学編集工学研究所が」→編集工学研究所が

・1606夜
「デヴィッド・マー『ヴィジョン』」→『ビジョン』

・1619夜
「細胞膜(cell membrsne)」→cell membrane
「転写(trnascription)」→transcription
「RNAスプライシシング」→RNAスプライシング


===========================

※〈2016.10.17 追記〉

 なお、「千夜千冊」567夜に、『誤植読本』(高橋輝次、東京書籍、2000)が取り上げられてある。
 この稿に正剛氏は、こんなふうに書いている。
 
 ・「中国では「魯魚、焉馬、虚虎の誤り」という。魯と魚、焉と馬、虚と虎は書きまちがいやすいということだ。また中国で「善本」といえば、良書のことではなく誤植のないエディション(版)のことをいう。それほど誤植は恐れられてきた。」
 ・「ぼくも編集者のはしくれとして、つねに校正と誤植には悩まされてきた。実は校正はあまり得意ではない。」
 ・「その後ワープロやパソコンで文章を打つようになると、今度は自分で最初から打ちまちがえたままになっている。」
 ・「この「千夜千冊」もワープロ打っ放しでスタッフにまわしてしまうときは、つねに3~4字がまちがっている(ところが10字まちがうとか、1字しかまちがわないということは、めったにない)。」
 ・「それにしても、誤植の入った自分の文章に出会うと必ずサアーッと冷や汗が出る。これはまことに奇妙な感覚で、なんとも居たたまれない。羞かしいやら、無知を晒しているようやら、もう弁解も手遅れで情けないやら、奇妙な後悔に立たされる。」
 ・「しかし、あらためて冷静に考えてみると、なぜ誤植が居たたまれない感覚に満ちたものなのか、その理由ははっきりしない。むろん歴然たるミスであるのだからどこから咎められても当然ではあるけれど、その責任はいわば著者・編集者・校正者・版元に分散しているのだし、(中略)この事実に気がついたとたんに“みっともない気分”になるというのは、この犯行感覚にはなかなか見逃せない異常なものがあるということなのである。」

 ・・・このように、正剛氏もやはり誤字脱字は頗るイヤなのだと分かって、多少ほっとした。
 しかし、ではなぜ速やかに直さないのだろうかという疑問はいっそう膨らむ。

===========================

※〈2016.12.22~ 追記〉
とにもかくにも私は『千夜千冊』全読破に向け、サイトをほぼ毎日みている。
11月18日のコメントに、「肺癌でした」とあって衝撃だった。また最近の『千夜千冊』に、肺癌で2010年に死去した作家・井上ひさしとの思い出を綴った箇所があって、次のように書いている。

「ぼくと同様のヘビースモーカーで、あちらは1日40本、ぼくは60本を維持し、誇りにしていた。(中略)互いに喫煙は肺癌とはカンケーないとえらそうに豪語していたが、そうはいかなかった。」

喫煙経験のない私は、タバコを吸う人に対し一抹の軽蔑視を禁じ得ないのだが、正剛氏のような「超」知識人がタバコ→肺癌などという愚鈍な経路をとると、(なんのための知識だ!)と憤りをも感じてくる。
『千夜千冊』は読めば読むほど物凄いブックガイドである。それを書き続ける正剛氏はやはり物凄い人間であろう。そういう人は日本のため、というか人類のために、絶対に長生きするべきなのである。

コメントには12月14日に手術を受け20日に退院した報告があり、痛みと鬱々なる心境を告白なさっていた。21日には事務所に十日ぶりに戻って郵便物をみるなどのルーチンをこなし、はや「千夜千冊に着手した」と書いてあった。私は少し感動した。
心から退院おめでとうございます、と申し述べたいが、私はただの一般人かつあかの他人なので胸に留めておくのみにする。

それにしても、読んでも読んでも果てしなく感じる『千夜千冊』に、相変わらず誤字は次々と発見される。数限りないので私もすでにメモするのはやめているが、(これは酷いな)というのを3つだけ挙げておく。
正剛氏は術後なのだ。お弟子さんたちが気を利かせて直してあげるべきだと思うのだが・・


・1600夜
『設文解字』→『説文解字』

・1603夜
「フランスの言語哲学者フェルディナン・ド・ソシュールは」
→スイスの言語哲学者フェルディナン・ド・ソシュールは。(フランス人移住者の家系だがスイス人。なお「シニフィアン」「シニフィエ」はフランス語。)

・0550夜
「・・・(臨済は)大愚和尚の師事を受けた。」
→に師事した。(「師事する」で「教示・教えを受けること」であり、「師事を受ける」とは言わない。)

2016年10月8日土曜日

耳鼻科の力

私の家系は鼻が弱い。
そんなことは誰も言わないが、見渡してみれば明らかにそうなのだ。
そして自分もそうである。
小学5年の頃から花粉症で耳鼻科通いだったし、大学の時には鼻中隔湾曲症で鼻がつまりやすく、そもそも常日頃から鼻腔が荒れている人生なのである。そのためか、年に何度も風邪を引き込むし、逆に、たまたまマスクを常々装着している時期には、あまり風邪をひかなかったりする。

今年の夏の初めは、風邪を何度もひいていた。
立て続けに2、3回軽めの風邪をひいた。つまり50日間くらいずーっと風邪っぴきだったのだ。
それで、その風邪が治ったら・・・
鼻声が定着してしまっていた。

周囲の人間は、もう慣れて、私の声がこういうくぐもった声だと思いこんでいる。
しかし、久しぶりに会ったり電話で話したりする友人は、「また風邪?」と訊いてくれる。

「いやぁ、これこれしかじかで、森本レオみたいな声になっちゃったよ・・・」
「・・・ぜんぜん似てないけど」
というやり取りを、何度交わしただろうか。

この2ヶ月ほどは、左耳の奥にガサゴソと異音が聞こえるようになった。
いつもではない。隔日くらいで鳴る。
中耳炎に似ている。しかし、耳が痛いとか耳垂れがあるとかいうことはない。
鼻声のほうも、喉が痛いとか頭が痛いとか鼻水が出るとか、ぜんぜんそういうことはない。
つまり、実害ゼロ。ただ不快なだけの状態がずっと続いているのだった。

  *

そうはいっても・・・不快だ。
気になる。
それで今日の午前中、町の耳鼻科へいってきた。

この耳鼻科はいつも混んでいるが、今日はさほどでなかった。
ふだんはお爺ちゃん先生が、大量の患者を、まるで時計の針のように淡々と診療して治療して、数多くの看護師さんを使ってエンドレスにさばいていく。
余計な口はきかない。時には必要最低限の説明もしない。気難しそうな静かなお爺さん先生だ。
が、患者の話を無視したりはしないし、措置が的確なので、名医だと思う。
――薬を大量に出すという性格をのぞいては。

だが面白いことに、そのすぐ下にある小さな薬局にいる若手の薬剤師が、これまたまるで名医のようなのである。
上の耳鼻科でお爺さん先生が処方した大量の薬やステロイド剤などを、下の名“薬剤師”が一通り症状を聞いて、再判断してくれる。

「この薬の量は多すぎると思うので、こちらと、こちらだけにしておきましょうね」
「ステロイド剤は、気になるでしょうから、今回はやめておいてもよいでしょう」
「この薬は弱いので、これくらいなら大丈夫です」
「ジェネリックにしておきました(勝手に)」

小難しい処方箋でも懇切丁寧に、ある種情熱的に解説してくれる。
私どもは、その若き薬剤師を非常に信頼するに至った。あるときは感動さえ覚えて、妻とこんな話をしながら帰った。

「ああいう仕事人が、世の中をよくしていくんだよ。彼はただの町の薬剤師じゃないね。患者さんだけでなく、日本社会の医療そのものを治そうとしているんだ」

  *

他方、耳鼻科にも変化が訪れていた。
待合室の椅子の配置が変わっただけではなかった。
お爺ちゃんである院長先生の、イケメンの息子さんが診療の多くを引き継いだのだ。
世代交代は、そのすぐ近所の眼科でもタイミングを同じくしている。
面白いことに、2世はだいたい目を輝かせたイケメンで、やもすればナルシシズムも匂わせているのだが、彼らは現代医療の最先端技術を現場に持ち込むと同時に、「人対人」のやりとりを約束する挨拶のメッセージなどをウェブサイトや待合室のお知らせに展示する。

私はこういうのをみると、・・・つい信頼し、期待してしまう。
そして、ちゃんと正確な診療をしてくれると、また嬉しくなる。
――世の中は、やはり進化しているのだ!
と。医者ってスゴいな、素晴らしいな、と思う。

今日の耳鼻科の2世先生は、私と同年代だった。
さくさくと診療・治療をしてくれた。

そして、驚くべき展開が待っていた。
左耳の検査を、圧をかけたりして調べたあとだった。
部屋の端に置かれた細い施術ベッドに寝かされ、左耳を細かに先生は見てから、ピンセットを差し込んだ。
「たぶん、これが原因ですね」
直後に「お土産です」と、ティッシュに包まれて渡されたのは、なんと3cmほどの自分の髪の毛だったのだ。
私は驚きを隠せなかった。
外耳道の鼓膜のそばに、髪の毛がぐるぐる巻きで詰まるなどという珍事は、38年生きてきて初めてだった。
これがガサゴソ鼓膜に当たりながら、2ヶ月間もそこにあったのである。
毎日の綿棒は、取り払うどころか押し込める作用をしていたのだ。

帰ってそのお土産を見せながら話すと、妻も驚いて悲鳴をあげながら、
「きもちわるーい!」
と言った。
「俺本人が、いちばん気持ち悪かったよ」
「それはそうでしょうね。でも、虫とかもっと変なものが出てこなくてよかったじゃない」
「あのなあ。これ以上キモキャラにしないでくれ」

診察は初診だったこともあり3千円弱かかった。
処方箋は飲み薬14日分と点鼻薬1本。ジェネリック(後発)はなかったので、2千円以上かかった。
計約5千円の出費。
病院通いはカネがかかる。健康がいちばんだ。無駄金を使った。

ほんのちょっとだけ思ったのは、・・・耳に圧をかける特殊器具で調べる前の、診察台での簡単な診察の時点で、すでに詰まった髪の毛は見えていたんじゃないかな? ということだ。
鼓膜は入口から3cmという、簡単に見える場所に位置しているらしい。
まぁ、先生は、
(髪の毛が原因だな。でも何か他の原因があると困るから、念のため調べとこう)
と思ったかのかもしれないし、
(髪の毛が原因だけど、色々検査して、お金を稼ごう)
と思ったかもしれない。素人患者にそこのところは分からない。

けれど、医療というのはいずれにしても、やはりありがたいと思う。
残りの不快感も治るならば、むしろ安いとさえ思う。
健康が一番だ。



2016年10月1日土曜日

お山の大将について

多少とも偉い立場の人がその権力を使って、上から目線で他人を封じ込めたり、思い通りにさせようとすることは、日常のなかにも大なり小なりよくあることである。家庭の中からはじまって、地域社会や学校や会社ではかなり多くなり、市町村から県・国のすることとなると大方がそんなふうだったりもする。

私は、そういうのが、心の底から大嫌いだ。

しかし、私にもよくない点がある。
――偉い人、凄い人に対して、過剰にぺこぺこしてしまうのである。

ぺこぺこというのは謙譲である。(心にもないおべっかを言ったりはしない.)
それでも、緊張して笑顔を振りまき、文字通りお辞儀も頻繁になる。多少のお世辞も言う。

これは、お会いできたという嬉しさがつい表に出てしまうせいなのだが、その嬉しさを相手様に伝えたいというのもある。それと、その人のことを尊重したいということも胸にあるし、能力や業績を褒め称えたい気持ちもある。

そして何よりも、「その人のことを尊敬したい」という願望が、自分の中にあるのだ。
じっさいに何かしら尊敬できる人に会えると、本心から嬉しくなる。尊敬の念を抱くのは幸せなことだと思う。
(その人に取り入って認められたい、そばにいて得したい、みたいな太閤的・角栄的打算はほぼゼロだ.)


で、・・・世の中には、偉い人・凄い人・有能な人が、実は案外たくさんいる。
ちょっと考えれば、それは当然とも思う。
なぜなら、人は誰でもただ若いというだけで膨大な可能性を持っているのだし、逆にまた、歳を重ねるだけでどんどん人間の味が出てくるわけだから。完全な無能かつ魅力のない人間というのは、この世には存在しない。

そんななか、膨大な数の人がそれぞれの分野でおのおの頑張って高みを目指すのである。
凄い人が多いのはあたり前だ。
比較的凄くない人も、かなりのパーセンテージいるだろう。(まったくアバウトな考察だが、・・・今回はこれでいい。)
能力が低くて、大したことはできない、主張さえしないという凡人を、卑下する気は私にはない。
しかし、せっかくお会いするなら、日々活躍する有能で偉い凄い人のほうが、嬉しいし楽しい。刺激になる。勉強にもなる。

けれど、ペコペコされると、多くの偉い人々のなかには、・・・やはり尊大な気持ちになる人も多いのである。
上から目線なのはいい。(こちらからして下から目線なのだし)
自慢するのもいい。(内容ある自慢なら、むしろありがたい。とことんウェルカムだ)
自己顕示欲があってもいい。(それがあまりない人のことは、よく知り得ない)
その自己顕示欲が、幼少期からの承認欲求に基いていたっていい。(他人に認められたい、見て!見て!褒めて!という幼少期の欲求不満の心理は、じつは多くの人が引きずっている。私自身もそうだと思う)
功名心があったって、もちろん構わない。(モチベーションの1つである)
功名心の塊でも・・・我慢しよう。(にんげんだもの)

しかし、次のような態度は勘弁願いたい。
何かの拍子にその立場的権威を示し、その権力をちょこまかと行使して他人を強制的にどうこうしようとしたり、人の話をはねよけて強引に自分の好きに進めてしまったり。人のあれこれを阻害したり。
過去からの恨みつらみと不満を持ち続けて、問題をなるべく大きくしたがったり。(どんな小さな問題だって、しようと思えばいくらでも大きく膨らますことはできる。とくにヤクザや弁護士ならお手のものだろう.)

そういうことをされると。
――私はとたんに気持ちが冷めてしまう。まぁ、心も傷つく。
数えれば、3つの点で残念になる。

1.その人の行動による具体的な結果について。
2.人徳者として尊敬していたが、じつはその人がただの「お山の大将」であったことについて。
3.自分が、人徳者だと誤判断してしまっていたことについての反省。


この2番目に挙げた、単なる「お山の大将」だったことに気がつくショックを、私は昨日ひさしぶりに経験した。
話としては、どうでもいいくらいに小さいことなのだが、内心では大いにショックだった。

私はその人のことを、地域社会に貢献する実力派の人徳者だと思っていた。
いつも親切だったし、にこやかで人当たりもよく、非常に顔が広い。
行動も発言も常に露骨で、自分のことを「正義をはっきり言うタイプ」だとよく喧伝していた。
いや、思い出せば、今までにもその人の言動にオカシイなと感じることが色々とあった。人を選んで敵味方に分類する姿は攻撃的だった。何事も仲間内で固める性格だった。表面的な軽いウソならよくあった。妙に公的な金遣いが荒いと感じていた。変に細かくてクレームが多い人だったが、私もクレームは言う方なので、素晴らしいとすら評価していた。
私のセンサーは完全に鈍っていたのだ。彼を尊敬していたからである。
具体的な言明は控えるが、・・・ 
つまりその人は、徳を備えているわけではなく、ただの「お山の大将」の凡人だったのだ。

「人の振り見て我が振り直せよ」とじぶんの肝によくよく銘じた。
いつか自分が多少とも偉くなった時、砂場を仕切るお山の大将のようになっていたら、あまりにもみっともない。目も当てられない。
世界は広大なのである。広大だし、きわめて多様で豊穣で美しく、偉人は数限りなく存在するはずなのだ。

地域社会の長よ。
中小企業の長がたよ。
大企業のトップよ。
業界の大物よ。
博識者たちよ。
国に務める方々よ。
国々の偉い方々よ。

私はきっと、またあちこちでペコペコと頭を下げながら、しかし今度は、上げた眼差しを光らせているだろう。
――あなたがたは、まさかまさか「お山の大将」ではあるまい?

あなたがたは分かっている人だろうか。
何を大事にし、何を恥ずべきなのか。
何を切り捨て、何を追い求めるのか。
ほんとうに大切なことは何か。

偉い人のなかに「お山の大将」でないひとは、もちろん大勢いらっしゃる。
私はそういう人をこそ尊敬するし、見習いたいと思う。













2016年9月26日月曜日

西原の古書店

今日は、また暑さが戻って真夏日の日曜。南の海上にある台風17号の小風が吹くこともあったが、概ね暑かった。

子どもたちを連れて公園を3つハシゴした。子どもたちは、朝から夕刻まで(昼を挟んで)フルで遊びまくる。それでも多くの子ども達が、洗濯物をたたんだり、ドリルをやってから遊ぶから優秀である。

こういう時、どこへ子どもらを連れて行くか、私自身は考えない。
『あそぼん』という雑誌があって、それを後ろ手に後部座席に渡し、子供らが全員でああだこうだと騒ぎながら決めるのを待つ。すでに車は走り出している。彼らが「ここの公園に行きたい!」と言ったその場所へ行くのみなのだ。

今日は、一区画だけ高速にのって、家から40分ほどの公園などに足を伸ばした。
西原の公園に子どもたちを置いた折、駐車場がいっぱいだったこともあり、私は久しぶりにその近くの古本屋に行った。

大きめで硬派なその古書店に行ったのは、・・・もしかすると3年はあけたかもしれない。
食い入るように棚を見つめた。100円の本を3冊、17円(!)の本を4冊、千幾らの本と雑誌を1冊ずつ。久しぶりに本を買い込んだ。

古書店にいる時に長男のキッズ携帯から電話が入って、息せき切った弾んだ声で、3才の友人の女の子がおもらしをしたとの報告があった。
私は古書店で近くのマツキヨの場所を尋ねてオムツとおしりふきを買いに行く。ついでに向かいのサンエー(スーパー)でチョコアイスモナカとピノを買い、公園に戻る。(近所には洋服が売っている店がないらしかった。)

皆でアイスを頬張ったあと、公園の身障者用トイレを開け放ったまま、(私には娘がいないので、何となく手慣れないため)6才の女の子にヘルプを頼みつつ、3才の子の足腰をおしりふきでざっと拭いてからオムツをはかせ、長男の着替え用のズボンがあったのでそれをはかせ、濡れた物を一応石鹸で洗い、ビニールに入れて持ち帰った。
(村上春樹的に細かな文面になったが、日常の臨場的質感を出す以外の意味はない。)


で、その古書店では、なかなか良い資料や図書が手に入った。
沖縄に、再版とはいえ戦前の『西哲叢書 スピノザ』があるとは驚いた。いや、Amazonでも、日本の古本屋サイトでも、手に入らないことはない本だしさほど高価でもない。ただ、なんでこんなところにあって、どんな人が持っていて読んだかな、とは思う。

それにしても、沖縄に古書店は那覇を中心に割とあるのだが、、、本が、ほんのりと湿っている気がして気になる。
そのせいで本が重い気がする。とくに外棚の本は、しなしなしている。
海風のせいであろうか。亜熱帯の空気のせいであろうか。
カビないのかな、と心配になる。カビっぽくもないのが少し不思議だ。

雑誌のなかに、琉球ガラス関連の小さな記事を見つけた(これは重要な発見だった)。
ペスタロッチ教育論の古い本は、興味はあったが小難しそうなので買わなかった。
科学の功罪にかんする古い新書本。1977年時点での原発批判が載っている。
ベトナム革命についての研究書。
古くて小さめのペン字の「くずし字解読辞典」。

辞典、事典の類には、どうも食指が動く。
一種の癖なのだろう。さほど実際には開かないのだから。
しかし、高校時代に国語教師が話したことを、私は今も記憶していて思い出すことができる。
 
――辞書に「高い」ということは、ないよ。
  辞書に、値段が高いなんてことはね、まずありえない。
  一冊の辞書を作るのに、著者がどれだけの労力と時間を費やし、あるいは一生涯を費やし、場合によっては次の世代の人生まで費やしているか。
  しかも、その辺の凡人ではない、最高の頭脳と叡智とが集結して、彼らが想像を絶するとんでもない努力をして、やっとまとめたものだ。
  そんな本が数千円、数万円、あるいは数十万円しても、高いはずがないじゃないか。
  買え。ぜんぶ読む必要はない。なんなら読まなくってもいい、と。
  買って、持っておけ。


後部座席の4人の子どもたちは、今日は長い一日だったと言い、同じ口でまだ帰りたくないと駄々をこね、もう日曜日が終わっちゃうのかと肩を落としつつも、汗だくの表情に充実した疲れと日焼けとを刻み、西日に照らされ揺られていた。
助手席の足元に無造作に放ったビニール袋の中に、今日100円で買った古い「くずし字解読辞典」などの古書が入っているのが嬉しかった。






2016年9月17日土曜日

アニメ映画『君の名は。』

アニメ映画『君の名は。』が、8月26日封切り以降、異例の大ヒットを飛ばしている。(『君の名は。』公式サイト
20日間で500万人動員とか、このままだと100億円の興行収入があるとか、つまりジブリ宮崎アニメなき後の、次世代的な実力派アニメーション映画という位置づけなのだ。

40代半ばの新海誠監督のアニメ映画作品は、今回を含めて6作ある。
私は、9年前に韓国人のアニメオタク青年に薦められ、のちに『秒速5センチメートル』をDVDで観て以来、ちょうど半分観たことになるのだけれど、フォトショップなどのグラフィックソフトで描いた絵が非常にきれいでそれは印象的だった。

しかし映像が印象的であるいっぽうで、これまでの作品は映画としての要素が弱かった。エピソードの多くがどこか別のアニメや映画で知っているような感じが多いのである。と同時に、(この人の作品は、いつか凄いものになるのだろうな)とは思った。なにしろ、ほとんど一人で話も絵も編集もこなしてしまう驚くべき若き才人ということだった。そして、ストーリー展開はいつも一種奇妙でどこか完成度の低さが目についたものの、その奥には高い志が垣間見られたからだ。
今回の作品は、そのストーリーの完成度が克服され、世間をあっといわせたのだろうな、と想像した。

妻も、「〇〇さんが『君の名は。』観て感動しまくってもう1回観たいって、フェイスブックに書いてた」と話していた。
また、私がちょくちょくスター・ウォーズの裏情報記事を拝読しているブログ「作家集団Addictoe」というところでも、多くの映画が辛口で酷評されがちなのに、『君の名は。』は98点という高得点をつけていた。そこには、こうも書かれてあった。
「内容に触れずに、一言でその素晴らしさをまとめれば、“新しい”。」
これは観に行くしかないと思った。


映画館の時間割とじぶんの都合とが合わなかったので、子供に幼稚園を休ませ、より遠方にあるライカムイオンの映画館へ出向いた。
まず、私が1人で11:00~上映の『君の名は。』を観る。(妻は5才と0才の息子とランチ。)
13:05~は『ペット』という、おふざけ冒険CGアニメ(アメリカ映画)を5歳の息子に1人で観てもらう。
そして、13:45~の『君の名は。』を今度は妻が1人で観る。(私が0才を連れてランチ。のち、5才と合流)

5歳の子供が1人で映画を観られるのか! とよく驚かれるが、息子は映画館デビューは3歳の『プレーンズ』から、そして前回『ファインディング・ドリー』からは1人鑑賞をしている。(私の迎えが遅れたためにインフォメーション・センターに届けられ、あわや店内放送というところであった・・・)親の観たい映画と子供のみたい映画が違うわけだから・・・仕方がない。

ちなみに、何歳から1人で映画館に入れるのか?
映画館の人に訊けば、「3歳から可能です」という返答だった。
妻は、「なにそれ? 3歳に映画が一人観できるわけがないじゃないの!・・・3歳から映画館に入れる、ってことでしょう?」と私に苦笑した。
ちなみに、『ペット』というこの映画にはクマちゃんマークが付いていて、つまり3歳以下でも鑑賞可とのことだ。
ということは。私は妻に提案した。0才の息子を5才の息子に預けて2人で『ペット』を観させ、その間に、夫婦で『君の名は。』を観ましょうか、と。だが5才の息子は即「やだ」と言った(むろん冗談で言ったのですぞよ)。
とにかく息子は映画が好きだ。『スター・ウォーズ』はDVDで6作品を2度ずつ観ている。エピ7は映画館で観た。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』3部作も、『ハリー・ポッター』シリーズも大方みた。5才なので5才なりの理解しかできていないだろうが、いろいろ観てはいる。もちろんジブリアニメは好きで、なかでも『紅の豚』はたぶん20回は観ており、さすがの私も怒ったことがある。


『君の名は。』
午前11時からの劇場は空いていた。(パンフレットは2日前に完売したとのことだった。)
午後に妻が観たときは、劇場は混雑していたという。

よかった。とてもよかった。いろいろよかった。
たしかに、いろいろ新しかった。テンポの取り方も、まとまりにくいはずのストーリーのニュアンスも。
前半はわりと軽めでポップな展開で、高校生の男女入れ替わりモノだった。エンターテインメントとして楽しめた。
特に気を引いたのは、カメラアングル。かなり凝っていた。
テンポも斬新だった。本編の出だしにこの映画の映画予告がくっつけてあるようなはじまり方は面白い。
後半は後半で、1200年に一度到来するという彗星を巡って、それが大災害をもたらす云々の展開はまた唸らされた。逃げのない描写と、表現しすぎない描写のバランス感覚が長けている。素晴らしい。

ただ、・・・絶賛とまではいかなかった。
ピュア・ラブストーリーである。私は38歳のオヤジだが、この作品は10代20代の青年向けだということもあるだろう。
終わった時、私も涙をぬぐったけれど、いつまでもいつまでも印象に残るインパクトとまでは至らない。
比較しても仕方がないが、数年前の『思い出のマーニー』は強烈に胸に残った(世間評価としては意見が割れたため、平均値は高くない。ちなみに安藤雅司氏が『思い出のマーニー』も『君の名は。』も、そして私の好きな『パプリカ』でも、作画監督を務めている。それぞれ全然違うテイストなのに・・・)

絵は美しかったが、これまでの新海作品と比べると、これみよがしな風景美・美彩色にせず、わざと抑えてあるので、びっくりするほど美しくは感じなかったのが、多少惜しい。

筋書きに関していえば、ふつうにスマホやLINEなどが多出するのは現代的で、これもある種の面白みがあった。
ただこうした急発達中の現代機器が駆使される割には、重要なところで使われなかったりする。
(これほど地図アプリを駆使できるのに、なぜ、足で現場に向かう前にグーグルアースで見てみないのだ?)
とか、
(Yahoo!知恵袋で世間に尋ねたりは、・・・やっぱり、しないのか)
とか。
登場人物にわざわざ余計な労力を使わせる。物語を成立させるためには、登場人物は苦難のプロセスを踏まねばならないのは分かるが、ふと気がつけば、そこが監督による御都合主義だったりする。

そして、新海作品にはまだ、他者の作品の影響が消化されずにそのまま表出されている部分が多い。ストーリーや描写が、どこかで観た記憶を呼び起こす。そこがひとつ、不満といえば不満だ。
朝、目が覚めると泣いている云々というセリフを聞けば、『世界の中心で、愛をさけぶ』をどうしたって想う。高校生の男女の体で心が入れ替わるとなれば、1982年の角川映画『転校生』の石段ごろごろシーンを想い出す(新海監督によれば平安期の古典『とりかへばや物語』を参考にしたとのことだ)。
天体物体墜落後の奇妙な再会となると『黄泉がえり』が。若者たちが専門機械で通信系を乗っ取る計画となると『サマー・ウォーズ』が。田舎の神社の夏祭りは『思い出のマーニー』、駅での再会シーンは『海がきこえる』。
美しい雲の見事な空は宮崎アニメ、高原を延々と行くのも宮崎アニメ、女の子が不自然なほど激しく地面を転がるシーンも宮崎アニメ。
――似ているだけならいいのだが、似ていすぎていてかぶるから余計な感情が湧くのである。

しかしそれでも、森の葉のざわめきは『となりのトトロ』よりも細かい描写だった。(まったくざわめきのない1カットが気になったが、細かい事!)
登場人物の人生模様をかなり深く掘り下げ、あるいは逆に説明省略があり、一筋縄にはいかない人生が上手く表されていた。
境内での特別な行事のシーンもよかった。都会と田舎それぞれの情景と人々、すばらしかった。とくに新宿に出たあたりはうっとりした。自然風景とはまた違う、社会文化や人間の美。
私のニガテな(若者のアニメの)急に簡略顔でツッコミ表情をする表現も、ギリギリ許容範囲だった。


『君の名は。』も、このように色々と非常に素晴らしいのだ。ほとんど文句なしに。
声優陣も、文句なし。違和感なし。
音楽、主題歌、とくに文句なし。

良い所を挙げればキリがない。
人物配置など、これまでになく素晴らしい。友人がいい。みな、とても素適な人物なのである。かと思えば、悪いヤツや嫌なヤツも何人か出てくるが、その時々しか出てこない、つまり悪い人間が何らかの制裁を受けるというのが普通一般の映画の展開だろうけれど、この映画ではそうではない。悪いヤツ・嫌なヤツは、逆方面からの本音を伝える役としてあるだけなのだ。こういうところにもセンスやリアリズムが煌めいている。

彗星が走る星空、衝突の衝撃。逃げのない表現がある。と同時に、宇宙の外からみた彗星のシーンはない。抑制が効いている。
抑制と、過剰な表現。上手い。
彗星の、美と酷の対比。静と激の対比。女と男、田舎と都会、昔と今。対比、対比、対比。対比の宝庫だ。

衝突のシーンの描写は、他のあまたあるアニメーションにも負けない迫力と効果的な時間枠での表現だった。どうしたって誰がみたって、これは3.11を描いている。東日本大震災への願いであり、多くの人の妄想であり、また反省でもある(昔の災害を伝えようとする人々と、受け取ろうとする現代の人々との難しさ。・・もどかしい)


とにかく、こんな風にたくさん微妙なニュアンスが込められた独特のアニメ映画が、世間に圧倒的に受け入れられているということ自体が、私には不思議だし嬉しい。
昔のつげ義春マンガが広く評価されていることを思って、嬉しくなったのと似ていた。

帰路では妻と、長々と感想を言い合った。私も妻も夜更かし型生活なので寝不足で調子が悪かったけれども、映画の感想を言い合えるのは、気付きが多くなって幸せなことだと感じた。
息子は『ペット』の話題をいくつか話していたが、両親は観ていないのでそれほど応対できない。息子は「こんどは『君の名は。』みたい・・・」と妻に言っていた。
キスシーンもないくらい清潔なストーリーだったのに、バストや股間については執拗な表現がつづいていた。性と生とのリアリティを追求しているのだ。笑いを取るためでもあろう。
・・・やはり5才には早いかもしれない。










2016年8月31日水曜日

エアバッグの危険性は語られないのか?

先日の事故のニュース。
ある母親が運転ミスで電柱に激突し、助手席に乗せていた女の子が死亡した。
女の子はシートベルトを締めていたが、チャイルドシートは使っていなかった(後部座席にあった)。
そして死因はエアバッグによる胸部圧迫だった。

私は、このニュースをみたその日、非常に心地悪い気分になった。
というのは、死因はエアバッグのなのに、エアバッグ使用の構造上の問題を一切マスコミでは取り上げないからだ。
悪いのは、チャイルドシートに子供を乗せなかった母親だ、と決めつけていた。

で、今日のニュースは、その母親の執行猶予付きの有罪判決が下った、というものだ。
論説は、事故当時のニュースとほとんど一緒。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160901-00000069-mbsnewsv-l27

ここでも、エアバッグの危険性はまったく語られない。
なぜなのだろう?
エアバッグが膨らまなかったら、女児は死ななかったであろう。なのに、なぜか「チャイルドシート不着用」という法律違反のせいで女児は死んだとしている。
問題がすり替えられている。

マスコミも、司法も、こんな程度の論理で話をするのかと思うと、鬱々とした気持ちになる。

 *

ところで、私はこの5月に茨城県の妻の実家に帰省した際、警察につかまった。
二男(0歳)チャイルドシートの不着用のかどである。
さらに、長男(5歳)のジュニアシートも不着用であった。
こんな状況では言い逃れなどできるはずもない、という残念そうな顔つきで、妻は子供たちといっしょに後部座席の窓から、警官と私のことをぼーっと見ていた。
案の定、2人の警官は言語道断だと息巻いた。

帰省中なので、チャイルドシート・ジュニアシートを用意していなかったというのはある。
沖縄の日常生活ではちゃんと備えている。

けれど、じっさいのところ、二男には妻が後部座席でおっぱいを飲ませていたという都合もあったし、チャイルドシートで泣く場合も多いので、ケースバイケースなのであって、使わないことも多い。

のみならず、じつは私たちには、非常に強い「チャイルドシート」への不満があった。
5歳の長男がまだ生まれたての頃、「安全のために、いいやつ買おうよ」ということになって、大手アップリカ製の比較的高価なチャイルドシートを購入した。
ところが、そのチャイルドシートは最初からキツかった。はや7ヶ月頃には長男は収まらなくなった。

何ということか、信じられないことに、・・肩にかけるベルトの長さがマックスにしても足りないのである。
たしかに長男は当時、かなり太っていた。しかし人間離れするほどに太ってはいなかったはずだ。
時間をかけてあれこれ試したがダメだった。
説明書を何度も見た。使い方は正しかった。

私鉄運転士をしている親友にも見てもらった。
彼はチャイルドシートにはうるさいタチだったが、あれこれいじって、首を傾げていた。
「こりゃ・・・分からんなあ! 不思議だ。ウチのは超簡単に調節できるのに、・・やっぱりベルトが短すぎる。不良品としか思えないけど・・・でもそんなもの、世の中に出すかなあ?」

私は、リュック用の余分なベルトを付け足して細工して工夫し、長男が少し大きくなるまでを持ちこたえたのだった。
よっぽど、質問及びクレームの連絡をアップリカに入れようと思ったが、・・・なんだかんだ生活にかまけて結局連絡しないままにしてしまった。


息巻く警察官に、いまごろになって私はその件を持ちだした。
午後3時ころで、ちょうどネズミ捕りをしているその場所では、次から次へと市民が犯罪を犯してネズミ捕りに引っかかり、罰金を払ったり、切符を切られたりしていた。

が、私はまったく引かなかった。納得いかないからだ。何万円も払って買ったチャイルドシートがちゃんと使えなかった恨みはいまもある。何が安全性だ。国家がちゃんとチェックしろというのだ。

ついでにいえば、ジュニアシートだって安全かどうかは分からないと思う。
子供にはよく使わせるが、ぐらぐらする。

ベテランお巡りさんとイケメンお巡りさんは、噛みつかんばかりの口調で切符をきろうと励んでいたが、私の剣幕とやっかいな論理に圧されて、ついに私を見切った。

「けどね、お父さん。子供の命を守ろうとは思わんのですか? ジュニアシートで座高を上げてやらないと、シートベルトが首に当たるでしょう。頸動脈を切って亡くなることだってあるんですよ、実際に!」

・・・この言葉には、さすがに私も言葉を失した。
私も素直になって、「すぐにジュニアシートは買って帰ります」と言った。
警察は、今回は見逃してくれた。帰りがけにリサイクル屋でジュニアシートの良い物を格安で買って、妻の実家に帰ったのだった。

しかし・・・ジュニアシートを使ってみても、あらためて変だと感じる。
ジュニアシートをしたって、子供の首にシートベルトは当たるのである!
馬鹿馬鹿しい。
子供には、「ななめのシートベルトを背中に回せ!」と言い聞かせる。正規の使い方ではないが、頸動脈でも切られたら元も子もない。

私が総理大臣だったら(←急に空想話になってしまうが)、シートベルトの構造自体を抜本的に変更させるだろう。当然、子供の首にも当たらないように。
エアバッグは、チャイルドシートがあってもなくても、子供も大人も圧迫死させない構造に移行させるだろう。命を守るための器具なのだから、これが当然の感性だと思う。

タカタ製のエアバッグの死亡事故のように、欠陥品がインパクトあるかたちで事故を起こせば、世間も国もマスコミも動くのだ。
しかし、じわじわと中途半端な習慣が行き渡り、それがルールとなっていると、さきの女児死亡事故のエアバッグや、このジュニアシートやチャイルドシートのように、わけのわからぬ本末転倒な事態がはびこったままになる。

変な世の中だ。




「南風原文化センター」にて

二、三日前。もうすぐ長男5才の夏休みが終わるので、近所の子どもらも一緒に車にのせて、どこかへ連れて行くことにした。
といっても大したアイデアはない。
『あそぼん』という、沖縄県内の子供の遊び場が掲載された雑誌を、後部座席の子らに手渡し、どこへ行きたいか決めさせた。
彼らはわーわー言いあいながら、車で30分ほどの距離にある住宅地の中の「国場川くねくね公園」というところに行きたい、と言った。

辿り着いてみると、ただ川沿いの住宅地の隙間を縫って、遊具や運動具や芝生が配置されただけの公園だったのだが、子どもたちは、
「ほんとうに、道がくねくねしてる!」
などといって大はしゃぎだ。5歳とか10歳というのは単純でよい。


その後、日差しも強いし学習もさせたいので、「南風原文化センター」という展示施設に連れて行った。ここは2度め。小学生は150円、大人は300円、こども園の子供らは無料。

入口から第二次大戦時の壕(ガマ)の野戦病院のレプリカが作ってあり、その中を歩くのも子供には怖い。長男は、その暗暗とした木製二段ベッドに体験的に寝そべることすらできない(上段には包帯巻きの負傷兵が寝ている)。
私は、「こんなこともできないほど弱虫なら、連れて帰らないぞ。戦争の時はもっともっと怖かったんだから」などと言ってうながした。
(翌朝、長男は「昨日の南風原文化センターのが怖すぎて、思い出してよく眠れなかった」と言いながら起きてきた。・・・)

その後子供たちは、「昭和の遊具コーナー」でひとしきりケンケンパをしたり、竹トンボを飛ばしまくってよく遊んだ。
なにげなくも、よい夏休みの過ごし方だっただろう。

施設を出る前にトイレに行った。用を足していると、目の前に張り紙がしてある。
トイレはきれいに使いましょう、とか、あるいは催し物のお知らせかな、などとぼんやり思いつつ、目を向けた。


 ―――――――――――――――――――――――――――――

  人は不合理、非論理、利己的です
  気にすることなく、人を愛しなさい

  あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
  気にすることなく、善を行いなさい

  目的を達しようとするとき、邪魔立てをする人に出会うことでしょう
  気にすることなく、やり遂げなさい

  善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう
  気にすることなく、し続けなさい

  あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
  気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい

  助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
  気にすることなく、助け続けなさい

  あなたの中の最良のものを、世に与えなさい
  蹴り返されるかもしれません
  でも気にすることなく、最良のものを与えなさい

                      マザー・テレサ

 ―――――――――――――――――――――――――――――


はからずも胸に沁み、すがすがしい気持ちでトイレを出て、帰途についた。

帰ったあと家族でラーメン屋に行った。ラーメンを待ちながら、妻に何の気もなしにそのことを話した。
「トイレに張り紙がしてあってさ。マザー・テレサの言葉で、いいことが書いてあって感動したよ」
話をそこで終わりにしたら、「ンで? なんて書いてあったのよ」と訊く。
暗記などしていないので私も言いよどんだ。二三、こんな風だったと我流で再現すると、妻は、
「いまのだけで感動しちゃった。うちのトイレにも貼ろ!」と言った。

私には、マザー・テレサと耳にすると、ついつい口してしまう話がある。
ちょうど10年前、ひとり旅でインドを訪れた時の思い出話。1週間ばかりコルカタ(カルカッタ)に滞在した折、マザー・テレサの建てた「死を待つ人々の家」のボランティアに参加したときのことだ。

毎朝、韓国人・日本人・西洋人の若者やおばさんの群に混じって安宿を出て、ぞろぞろと近所の教会に集まり、バナナ1本・牛乳1杯をいただいてから、配属された施設に向かって汚い街を歩いて行った。
歩くこともできない老人ばかりのベッドの並んだ施設。ボランティアたちは全身びしょ濡れになりながらせっせと素手で洗濯をし、急いで食事を作り、与え、あとはホースとブラシで大々的に床掃除。一連の作業はお昼頃に終わって、安宿に戻るのであった。

別の施設に配属された日は、そこがいわゆる「死を待つ人々の家」だった。
薄暗い石造りの教会のような、ちょっと雰囲気のよい荘厳な施設の中に、やはり老人ばかりのベッドが並んでいた。
そこでは老人たちに食事を食べさせたり、痩せた手脚をクリームでマッサージするのが仕事だった。ふむ、こういうふうにやるんだな、とコツを掴んできた頃、私は職員のお兄さんにおもむろに「あんた、来い!」と呼ばれた。
なんだろうと行ってみると、隣の小部屋に導かれた。腰巻き一丁のお爺さんが1人横たわっていた。
遺体安置室だった。
「彼は昨日、死んだんだ。そっち持って!」
え?え?ええっ?・・ 私はうろたえた。いきなりで、唐突すぎた。
しかも素手である。じつは何を隠そう、私は大の死体嫌いなのだ。
「はやく!」
老人の身体はすでに硬直していた。私は訳も分からず両手で老人の両脚を持ち、外の車まで一緒に運んだ。手も腕も脚も震えて仕方がなかった。放心状態に近かった。
が、とても不思議に感じたのは、老人の顔が爆笑したまま固まっていたことである。
亡くなった瞬間、すごく面白いことがあったのだろうか?
あるいは、すごく幸せだったのだろうか?
それとも逆に、・・・すごく辛くて、こういう顔をしたのだろうか。

その夜、いつものように安宿の屋上に出て涼みながら、旅人たちとまったりと話していた。
私は遺体運びの話をした。みな笑って聞いていたが、旅慣れた1人がこう言った。
「それは良かったですね。インドでは、遺体運びを任されるということは、とてもラッキーで、名誉なことなんですよ」

「そうなんですか!?」と私は驚いた。「へぇー」とその場の一同は新知識に感心した。
「じゃあ、よかったじゃないっすか!」と、おちゃらけた青年は言って、私の背中を叩いた。
「いいな~」「いいな~」と女の子たちは口々に、心にもなさそうな言い方で言った。

淡い談笑の印象に包まれた若い旅の日々は、遠ざかり、もうどこにもない。

  *

連れて行った子供のひとりが水筒を忘れてきたので、翌日また「南風原文化センター」へ、こんどは家族で出向いた。「昭和の遊びコーナー」でフラフープに挑戦したとき、その子は水筒をそのへんにひょいっと置いたのだ。
子供というのは面倒だ。

ついでだから、トイレでマザー・テレサの言葉をデジカメに収めてきた。
ここへまた来たのも無駄足ではなかった、と思った。

外に出ると青空が広々として美しかった。大きなちぎれ雲が動いていく。
湿った風が吹いていて、気持ちが清々する。
わが小家族は歩きながら、みな、日に照らされ、風に吹かれて心地よさそうだ。

関東で猛威を振るっているブーメラン台風10号が、遠く沖縄にも風を吹かせているのである。空が、どこまでもつながっているからだ、――などと当たり前のことを考えていた。





2016年8月26日金曜日

椅子の布の張り替え

昨日のDIY熱が冷めやらぬうちに、ほかのことも手を付けてしまおうと、今日はタッカーを使って椅子の布地の張り替えをした。赤子をあやしつつの力仕事だった。

この重厚なイスは、5年前、沖縄に越してきた時に嘉手納基地付近の大山通りの家具屋で購入したものだ。
大山は広い車通りである。両側が、だいたいアメリカ家具やアメリカグッズの店になっている。
ここは初めは中華系(台湾?)の家具・グッズの店店だったのだ。1980年代中頃には、のちに琉球ガラスの「現代の名工」に選出された稲嶺盛吉氏の工房もあった。

で、私どもは5年前、大山でアメリカ家具風の椅子2つとテーブルを購入したのだった。
椅子は1つ8,000円だった。
移動するのも重く感じる手作り家具だが、長男が大きくなってきたので、同じ椅子を買い求めにでかけたことがある。すると12,000円に値上がりしていたため、躊躇して帰ってきた。
そのくらいの価値はある椅子だった。が、わが小家族は狭々しいアパートぐらしなので、重々しい椅子がたくさんあっても不釣り合いだから、買わなくてよかったのだ。

5年が経ち、その椅子の1つの合皮の布がバリバリと割れてきてしまった。


沖縄は暑いので、われわれ家族はみな、ふだんはほとんど下着姿で過ごしている。すると、この椅子に座った時に、生の太モモが合皮の細かなヒビに挟まれて痛いのだ。
しかし、革布の張り替えには結構お金がかかると聞いていた。

そこで、DIYである。

※DIYとは・・・「DIY(ディー・アイ・ワイ)とは、専門業者ではない人が自身で何かを作ったり、修繕したりすること。英語のDo It Yourselfの略語で、「自身でやる」の意。」(Wikipediaより)

  *

 まず、合皮をハサミでカット。

中の黄色いスポンジが安っぽい。

 サンキで買ってきた布。   

ちょっぴり厚めのハギレが安売りしてあって、108cm×200cmで410円(税込)だった!
これも使う分だけカット(まだまだ余ったから、いつか別のことに使おうっと)。

 ドリルで取外した座板に巻く。

 タッカーはダイソーで300円?

タマはホームセンター(C)で。8mmの高さだったかな。
とにかく安上がりだが、タッカーそのものをホームセンターで購入すると、4倍くらい値が張るだろう。100円ショップはすごい。

DIYが得意でもない私でも、前回はじめて使った時から上手くできたので今回も自信満々。

 バチンバチンと留めまくる。 

裏側だから下手でも気にしない。

タマの食い込みが浅い場合は、カナヅチでトントンしておく。

 表面の張りを確かめながら。  




完成!












2016年8月24日水曜日

椅子も机も高くしよう

21世紀に入って16年目になるが、現代日本は本当に文明文化の国なのだろうか?・・・
などと、生活文化の不具合に感じることはままある。

たとえば、神奈川や茨城にいたときは、冬になるととんでもなく寒い室内で暮らしつつ、夏を待ちわびた。
関東の木造住宅はたいてい寒い。金持ちのおうち以外では。
囲炉裏があった昔は室内温度が適切だったという人もいるから、多分、われわれの文明は後退したのだ。

司馬遼太郎の講演CDを20年ぶりくらいにかけていたら、モンゴルのフェルトで作ったテント「パオ」が、冬でも夏でも極めて居心地がいい室温であると同時に、地球環境にまったく負荷をかけない生活文化なのだと言っていた。
(なお、司馬氏によれば、文明とは普遍的・合理的なもののことを指し、文化とは非合理なもののことを指すのだという。たとえば毎年年始に初詣に行くのは非合理なので、立派な文化なのだそうだ。)

一般的によくいわれるのは、台所のキッチン周りや脱衣所の蛇口などの高さは、現代人が使い続けると腰を痛めるということである。昔の日本人の平均身長に合わせて規格がつくられてあるままなのだ。背の高い夫婦の友人宅は、それを考慮して何もかもにグンと高さをもたせてあったが、それは個人の工夫であって一般文化ではない。
そういえば、私は毎日、シャワーの高さが足りないと感じている。身をかがめて生活することが多い。

なかでも、とりわけ私がずっと不服だった生活用具は、デスクチェアだ。
ニトリで買った常用しているデスクチェアには、ちゃんと高低を調節できるレバーが付いている。だがしかし、・・・最高の高さにしてもまだ高さが足りない。私の脚がとりわけ長いというわけでもないのだけれど、足裏が床に押し付けられ、常々、膝が折れて窮屈なのである。
約5~7センチほど高いといいのだが。

「じゃあ、座布団でも敷けば?」

と言われそうだが、この椅子を買うときに選んだ理由は、座席の心地よさと背もたれの加減だった。座布団を敷いてしまえば、いずれの価値も無に帰することになる。
しかもデスクチェアの座高を高くすると、こんどはパソコンデスクと筆記机が相対的に低くなってしまう。

日本の机周りの文明もしくは文化というものの品質や規格は、だいたい、こんな程度止まりなのである!
私は、根気強くこれらの問題を根本的に解決するべく考えた。
そして、――椅子も机も、ぜんぶ高くしてやろうと決めた。

こうしたわけで、数日前から準備を重ね、今日はひさしぶりにDIYを楽しんだ。
デスクチェア、筆記机、パソコンデスク、すべて高さをもたせる根気仕事である。暇ではないのだが・・・

  *

いちばん苦労したのは、デスクチェアの足の工夫だった。
そもそも最初は、座席の板底を嵩上げしようと考えたのだが、六角ボルトで主軸・背もたれ・肘かけと絡み合わせて組んである構造上、それが無理と分かった。あとは椅子の足元の工夫となるだろう。

同じようなことを考える人はままいるようで、ヤフー知恵袋も見たが、あまり参考にならなかった。工夫した解答をしている人もいたが、私のセンスに合わなかった。

※参考URL↓
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6784434.html
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12130278342

で、私はどうしたかというと、デスクチェアに付いている5つの車輪の付け根に高さをもたせることにした。
ということで、車輪の接続金具を買いに2つのホームセンターを訪れた。
が・・・そういうモノは売っていなかった。
車輪は車輪ごと売っており、その付け根の部品は非売なのである。インターネット上でも同じだった。

1週間ほど前、妻と子どもたちだけがお盆に帰省中であった。
うちの子どもが留守なのを知りながら、同じアパートに住む子供らがヒマすぎで退屈しのぎに遊びにきた。私も退屈しのぎにこの子供たちを連れ、ゴミ処理場へと足を運んだ。ときどき古いガラス工芸品を探しに出向くことがある。粗大ごみを出しにもそこへいく。

案の定、日曜日なので山のようにデスクチェアも積まれていた。
2日間で2市のみでこのゴミの量。人類は地球を滅ぼすだろうと想像できる。未来を担う子供たちには、こういう社会の裏面を見て、どうにかして対処して欲しい、などという淡い気持ちがどうしたって湧き起こる。

だが、・・・今回の私の目的はイスの足車輪であった。
ウハウハした手つきで宝の山を漁り、あっという間に5つをゲットした。連れてきた子供たちも頼んでいないのに2つほど取って渡してくれた。
私は気がつかないうちに、指に3箇所の切り傷を負っていた。
子供のひとりが、「知らないうちに怪我するのが、一番こわい」などとコメントした。

帰宅して金具のみを車輪から取り外そうとした。
外そうとしたのだが・・・これがどうしてか、どうしても外れないのだった。
引っ張れば取れるはずなのだが、外れない。断固として、外れない。

何か方法がないものかと、数日後に琉球ガラス村の加工部を訪れ、元上司たちに雑談をしに訪れたふりをして、おもむろに相談を持ちかけた。
仕事中にもかかわらず、2人の元上司が工具をもってしてトライしてくれたのだが、やはりダメだった。ノミで車輪を打破しても、バーナーであぶっても、どうあがいても取れなかった。
琉球ガラスにコールドワークを施した後、保温しておくためのオーブン(68℃)がある。とりあえずそこに放り込んでおけと元上司が言うので、そうしておいた。

また数日後に遊びに行った折、入れておいたイスの車輪をオーブンから取り出し、ニッパーでテコ入れした。
すると、「ぽんっ」と面白いほどあっけなく外れた。
「やった、やったー!」
と私が声を出して喜ぶと、元上司は、「あなたの人生は、こんなふうに上手くはいかないのにね」などと、下手なブラックジョークを言った。


で、その金具を、カットした木材に穴を開けて差し込む。
今日、ホームセンター(C)に行き、円柱形の棒材と2×4の角材とを買ってカットしてもらった。
しかし、ここの担当が、偉そうなくせに実にショボい男なのだ。
今回も、カット後に再度そこへ戻り、苦情を言って60円を返金させた。なにしろ、私が寸法・カット手順・カット回数にいたるまで丁寧に図を描いて説明したのにもかかわらず、テキトーにカットしてカット回数を増やし、頼んでいない部分まで切り落とし(!)、ボっていたのだ。最低である。
それを指摘したら、強気の文句調で言い訳をしてきた。
私は、多少怒った。
彼の言が合っていれば言い訳もいいのだが、誰がどうみても2箇所も間違っているのだから、彼自身もフテ腐れるしかなかった。性根も腐っているから、謝ることすらしない。じつは前回も同じようなことがあったので、私は今回は泣き寝入るのをやめたのだ。

ムカムカしつつ帰ろうとすると、同じ木材売り場に琉球ガラス村の偉い人がいたので、声をかけた。
この人は、道具でも機械でも何でも手作りしてしまう凄い人だ。
ニコニコしながら、「日曜大工かい?」と私のカット木材を覗き込む。
イスやテーブルを高くするのだと言うと、「新しいのを買ったほうが安上がりなんじゃないの?」と笑った。
私は笑ってごまかし、細かな説明は控えた。


切ってもらった木材は、寸法にズレはなかった。まぁ普通に、良いモノだった。
だがムシャクシャする出来事があったため、この木材を見ると切ない気分になる。

  *

木材に穴を開けるためのドリル刃は、2種類買ってあった。
はじめて電動(インパクト)ドライバーでドリルを使った。
DIYは、家内の方が得意で、ぱぱぱっと棚でも机でも作ってしまう。私は、ゆっくりゆっくり、おずおずと事を進める。


長男(5歳)が、ダイソーで買った球形の木材に、ついでに穴を開けてほしいと言った。
で、あまった木材にも穴をあけるよう頼んできた。
それに彼は、私の使い残したイス車輪の金具部品を差し込んで、・・・なんと手榴弾のオモチャをこしらえたのだった!


私は、大の武器ぎらいである。
長男が3歳の頃、家内が買ってきた幼児用のピストルの玩具をみて私は激怒し、長男も家内も大泣き、口論が昂じて離婚話まで持ち上がったことがあった。
家内にしてみれば、「いいじゃないの、おもちゃの鉄砲1つくらい」とのこと。
私からすれば、「3歳にピストル与えて、どんな大人にするつもりだ。しかもここは第二次大戦の激戦地だぞ」と言語道断の態度だった。
その数週間後に、アメリカで5歳の男の子が玩具の鉄砲(マイ・ファースト・ライフル)に実弾を込めて、2歳の妹を射殺してしまう事故があった。私は「それみろ」と言った。
後日、保育園で水鉄砲持参のプール遊びの日があった。長男はしょんぼりして帰ってきて、水鉄砲が竹筒の形だったのは自分と女の子1人だけだったと言っていた。

昨日、私は長男と、同じアパートの子供とを連れて、初めて那覇の「壺屋焼物博物館」へ行った。
博物館の展示品に、本物の陶器製の手榴弾があった。


長男はその陶製手榴弾が気になって、強く印象に残っていたらしい。で、それと同じものを作りたかったようなのだ。
どうみても手榴弾であるその手作り玩具について、私は「もしかして、手榴弾?」と訊く。
長男は首を振り、「まあるい、・・・オモチャ」と答えながら、ピンを抜いたり嵌めたりして、嬉しそうにいじっていた。

  *

ボンドで補強して完了。まぁ、DIYの得意でない私にしては、満足のいく出来栄えになった。
ただ、イス足の軸が垂直でないので、高くなったぶん揺らすとしなって、壊れそうな危うさがなくもない。
祈るような気持ちのある一方で、5つの車輪に65kgの体重だから1つに13kgの荷重・・・それくらいは耐えて欲しい気もする。

なお、写真手前の立ち作業用パソコンテーブルも、脚を長い木材に取り替えてある。
今回のニトリの常用デスクチェアの座席も、合皮が早々とハゲてしまったので、布を貼り付けてある。布は、タッカーと呼ばれる外側に向いた強力ホッチキスで打ち付けた。
おや、気づけばけっこうDIYしているじゃないか――と自分を讃えた、臭い汗かく夏日であった。





2016年8月15日月曜日

世間ではお盆

毎日、せっせせっせと片づけの日々である。
日本本土でもお盆だし、ここ沖縄では迎え盆(ウンケイ)が今日で送り盆(ウークイ)が明後日である。世間は忙しそうだ。

私の家系では、お盆の風習はとうに消えてしまった。
それでも子供の頃は、夏休みのただ中には、お盆に合わせて遠路をゆき父母の実家を順次訪れ、それぞれの田舎で従兄弟や親戚と集まって泊まるのは、それはそれは楽しいことだった。私にとっての日本の原風景の一部が、そういった思い出から育まれたのもまったく確かなことだ。

時は経ち、親戚関係にも色々とガタが来て、両祖父母とも亡くなり、私はといえば幼少期や少年期をへて、青年どころか中年へと歳を重ねた。家を離れ結婚をして子供ができ、遠い場所に引っ越した。お盆だからといって帰省する気もない。
(いちおう長男である)私は、墓さえも廃止することをもう15年も前から宣言してある。

ところで、墓がないこと自体はまったく寂しがるべきことではない。
すべての生命は地球から生まれ地球へと帰っていくのだから、墓がないのはごくごく自然なことなのだ。さらに言えば、生きている間だって物質的には固定された瞬間がないことについては、福岡伸一博士のベストセラー『生物と無生物のあいだ』を読むと一層よくわかることだろう。生物というのは砂漠の模様のように、形状がこの世にひととき残存するような類の存在であろう。このことは何という名前の生体現象だったかな・・・ど忘れしてしまったなぁ・・・・・・ああそうだ、「動的平衡(どうてきへいこう)」といったはずだ。

まさか、生活文化のすべてがナンセンスで無意味などと私はもちろん言わないし、そうは思っていない。
墓には墓の意味があり、価値があり、お盆にはお盆の重要な意味があり、それぞれの人間の人生に多大な影響がある。
しかし私が思うのは、墓がないことにも意味や価値があり、お盆がないことにもプラス・マイナスの人生への影響があろうということなのだ。

私の場合は、先祖はすべて私自身に集結していると考えている。あるいは、わが子に。
先祖とは、じいちゃんばあちゃんや田舎の墓石に刻まれた名前の人間のことのみではない。38億年分まるごと、地球の生命史の自分に繋がる樹形図のぜんぶを、自分の身体が背負っているイメージだ。これは科学的にいって、ほとんど正しい認識でもある。

儒教では先祖が偉いことになっている。先祖崇拝が儒教思想の軸としてあり、日本でも琉球でもその影響が強い。だから年寄りほど威張っている。政治家で偉そうなのもみんな年寄りだろう。若者から年金を絞りとり、原発事故で地球を汚しても、自分たちは良かった、後のことは知らん、勝手に頑張ってやってくれ、というのが大半の日本人のお年寄りのスタンスになっている。(金も文化も先代から受け継いだ以上にプラスして子供にバトンタッチしよう、なんていう親が果たしてどれくらい存在するのだろうか?)

しかし私が自分の頭で考えると、価値観が逆なのだ。子供ほど偉いし尊いはずである。
もちろん親がいなければ子は存在しないのだけれど、子がいなければそもそも親ではない。
子孫ほど偉いことは、生物学的にいっても間違いない。生命の原理として必ずそうなっている。過去よりも未来が大事で、未来の主人公は常に若者なのである。

この当然の原理を、風習文化をもって倒置してあるのには、もちろんそれ相応の理由はある。
社会的にみれば、「先取権(さきどりけん)」が効いている。
技能面からいえば、「経験値」も年寄りが優位である。
生物的にいっても「先行優位」がある。先にその場に住んでいる者の方がテリトリーを主張しやすい。

それをひっくり返すには闘争しかないのだ。
動植物をみれば、常に競争原理が働いている。また、人間の歴史を見返せば、下克上という形もあるし、国土拡大・先住民虐殺という形もあったし、革命という形もあった。

それではたまらぬとばかりに、権力をもった年寄りたちは、年功序列をルールに据える。
家庭にもピラミッドを作る。子供を親のいいなりにしようとする。さらに最下位に嫁を置いて、こき使いながら阻害する。日本の民衆文化のれっきとした暗黒面だ。
ほんとうは、子供は穏やかに年功序列を打ち破るべきである。嫁はそんな圧政の敷かれた家ならば即刻出るべきだ。
なぜなら、必ずしも年寄りが社会の安定を保証するということはいえないからである。先の戦争で二十歳そこそこの未来ある若者らを特攻にしたてたのは、大して先のない年寄りたちだった。

ではといって、年少優位も行き過ぎれば、社会は姥捨て山OKの方向へいき、人道的価値観が破綻するであろう。
だからこそ孔子だって、老いては子に従えという指針を設定した。しかし、風習や伝統や原理を大事にする人々というのは、大概、都合の悪いところは自分の都合で削ってしまうものなのだ。

・・・こういうことを、ご先祖様がふだん離れ離れの人々を再会させてくれる「お盆」の風習をもつ方々は、とくに考えてみる機会が増えるだろう。いろいろな人の人生模様をみることは、とても勉強になるから面白いはずだ。


今年の終戦記念日は、私にとっては片づけと生活家事でほぼ終わった。
この大片づけを終えて、研究と読書にいそしもうという心積もりだ。





2016年8月8日月曜日

天皇陛下の「お言葉」をきいて

昨日は子どもの友人家族とでビーチパーティーがあった。
雨ときどき曇りではあったが、有意義にすごせた。こういうレジャーや交流はわが家族は得意ではないので、重い腰を上げて提案に乗らねば、あっというまに子どもが大きくなってしまうだろう。つくづく友人とはありがたいものである。

ただ、先月その同じバーベキュー場でビーチパーティーをしていた男性が、トイレ前の広場で雷に直撃されて心肺停止になった事故ニュースがあったので、ちょいちょい気になった。雷の鳴るときもあったし、暗雲も雨もあったので、トイレに行くときは空が怖かった。


今朝、雷が2度鳴った。
ブログにも書いたとおり、先月はわがアパートにも雷が落ち、共同アンテナを壊していった。その2、3週間前には友人宅に直撃していろいろな家電を破壊した。今年はおかしい。こんな雷ばかりの年などあったろうか?

で、今朝の雷はななんと、わがアパートの向かいの電信柱に落ちたらしい。
家の半分の電気がつかなくなったが、やがてわーわーと近所の人が表に出てきて、停電だ、うちも停電だと口々に言うのが聞こえた。やがてわが家もすべて電気が切れた。

沖縄電力のお兄さんたちがやってきて電信柱に登って数十分後、電気は復旧した。もしかすると私が不動産屋の時間外受付に連絡したことで沖電が来たのかもしれなかった(行動派の区長さんがあとで「誰が電話したかな?」と不思議がっていた)。

 *

昨日のビーチパーティーの疲れがまだ残っており、今日は作業や家事がぼちぼちの運びだった。

しかし、「天皇陛下の(生前退位にまつわる)お言葉」のビデオメッセージが8月8日午後3時から放送されるということが数日前から喧伝されていたので、なかば楽しみにしてスーパーの買い物から戻り、国民の一人としてひとつ聞いてやろうじゃないか、などと軽口を言いながらテレビの前に座った。


10分ほどの天皇の言葉を聞いて、しばらく唸った。
(大した天皇だな)と思った。なかなか珍しいという意味でも興味深いビデオだった。

天皇陛下が「個人としての」思いを語るという。
ここでちょっとハッとする。
憲法上、国政にかんする私見を述べることが封じられている天皇だが、だからといって1人の人間として、一個人として、何も思わないはずがない。人間は個人として生き、(個人が統合されているかどうかはまた別の問題だが)考えながら生きている。
発言するべきは、発言しなければならない。

国民・国政・皇室を熟考して、現状を変えてよりよくしようという強い意志を述べた。国政に関わる権限がないことにあえて触れて、真意がまっすぐ伝わる表現方法をとっている。
いろいろな面で論理的で、誠実で真摯だった。

こんなにまっすぐ放たれたメッセージを聞いたら、しごく真っ当なこの意見に反対する国民はほとんどいないだろう。たとえば私の胸にはどこかに皇室制度反対の意思があるのだが、そんな私でも(なるほど、そのとおりになればいいのに)と賛同の気持ちが湧いた。

普段はどんなことを考えているのかよく見えないのが皇室の方々だが、こうまで明確に発言があれば、立場・仕事・思い・願い・配慮・方策、いずれをとっても熟慮が行き届いており、非常にちゃんとした人だと感じる。
天皇の「お言葉」に、べつに私は感動はしなかった。
しかし十分に感心はした。
やはり普通の人ではない。していることも、一般人にできることではない。

とくに、このように発言するリーダーシップには驚嘆した。

私の周囲を見渡すと、親にも祖先にも親戚にも、たぶん友人知人の親戚を見回しても、これだけ周囲全体や家族の将来をおもんばかれるような人はまずいない。
一般社会ではほとんどの場合、立場ある人々さえもが十分なリーダーシップに欠けている。
周囲や残される人々に対する十分な配慮や思いやりなど、まずほぼないと言っていい。見通し、方策、何もない。当然、発言もなければ行動もない。
多少の思いやり、多少の配慮、多少の保守思想、多少の希望。それが親戚関係とか友人関係、会社関係の良い面のすべてである。

自分の死後のことについては、「なるようになるでしょう」「あとは、残った人たちが好きにやればいい」という放任主義が大多数だ。
「こうこうしてくれ」と遺言に残す積極的な人もいるが、それらはほぼ自分中心での遺言だ。墓選びも、墓の管理任せもそうだろう。死んでなお自分自分。よくて一族への私利。それが世間一般なのである。

そして愛はというと、・・・金にのみ託される。――生命保険。遺産。・・・虚しいかぎりだ。

 *

NHKではニュースキャスターや専門家たちが解説をし感想を述べ、街頭で人々へのインタビューや被災地・記念館などで決められた人にインタビューがなされていた。
それを見て、私はちょっとだけ唖然とする。
多くの年配の人が、インタビュアーの質問に適切に答えられていない。
「天皇のお言葉をきいて、どう思いましたか?」と聞かれているのに、天皇に会った時の思い出などを長々と話しはじめる。国語能力に欠けている。街頭で若者にインタビューして返ってくる言葉の方が、よっぽどまともであった。
それと比べるのは可哀想だが、やはりテレビに出ている専門家は、おのおので的確な解説をする。

安倍首相も今回は、ちゃんと対応せざるをえないといった様子で、ある程度きちんとメディアに発言していた。
憲法改正を暗に反対するタイミングだとも言われる今回の「お言葉」だが、本当のところ私にわかるはずもない。が、そうだといいな、とも多少思う。
国民に寄り添い、国民に耳を傾け、祈りつづけた象徴天皇が、憲法改正・戦争法案賛成なハズもないのだから。

 *

・・・それにしても、「お気持ち」、「お言葉」、「〇〇さま」ほか、メディア上の最敬語は、どうにかならないのだろうか? 皇室にかんするニュースで使われる敬語は、私には奇妙に聞こえていつまでも感性に馴染まない。やもすれば冗談で言っているようにも聞こえる。
新聞もテレビもネットニュースも、おべんちゃらを振りまいているようで、日本語表現自体が媚びた感じがして嫌なくすぐったさに包まれる。
最敬語は、天皇や皇族に対して直接使えばいい言葉ではないのか?
第三者にそういう語り方をするから、おべっかを強制しているようで可笑しくなるのだ。

少なくとも、天皇ご自身の語りには、そういう奇妙な感じは全くない。
今日のはとくに、かなりの名スピーチだった。(天皇制保守の志が含まれていたとしても。)


↓毎日新聞より「お言葉」について
http://mainichi.jp/articles/20160808/k00/00e/040/297000c

↓毎日新聞より「お言葉」の海外反応
http://mainichi.jp/articles/20160809/k00/00m/030/068000c

↓Yahoo!ニュース(翌日)記事:「象徴天皇としての天皇」を体現―陛下の「完璧主義」と歩み
http://news.yahoo.co.jp/feature/283





2016年8月6日土曜日

貧乏暇なし

なんやかや、なんやかやと非常に忙しい。
そのいっぽうで、子どもたちと遊んだり近所の人や友人と井戸端会議をしたりという日々を送っている。
と同時に、妙な鼻風邪をひきこんで鼻声と粘着鼻水が煩わしい。体調も気分も作業効率も下がりっぱなしである。
やるべきことはまだまだまだまだ他にもあるのだが、ほとんどを中途にしたまま過ごしてしまっている。
貧乏暇なしとはまさに自分のことだ。

今日は久しぶりに暗雲の覆う曇り日で、小風も吹いていた。
めずらしく涼しめだ。(台風5号が接近中の関東では38度とか何とかニュースで言っていた)
風は気持ちいいし散歩にももってこい、ちょうどこそへお隣の奥さんが子どもと訪ねてくれて、私も急いで身支度をして、長男を連れていっしょに近所の公園へ行き、子どもらをブランコやボールで遊ばせた。
ブランコの下に蝉の死骸があって子どもが騒ぐので、羽を持ってどかしてやると、中から小蟻が慌ただしく出てきて一列に並んで退去を始めた。その素早さと見事さに親も子も感嘆の声を挙げた。長男が「こども園のこどもたちより並ぶのがじょうずだよ」と言っていた。

突如としてサーッと斜めの白雨が降り注いだので、私たちは四阿に避難した。
風も吹くので多少霧雨が振りかかる。
なかなかやまない。
やがて3歳の女の子と5歳のうちの長男は雨の下に出て水たまりの中を歩きはじめる。頭から濡れて喜んでいた。
隣の奥さんは1歳の子を抱きながら笑顔で子どもと接したり、私と他愛のない話を交わす。長らくそうしていたあと、私は妻に電話して皆を迎えに来てもらった。帰ると同じアパートに住む子どもが駐車場で2人待っていたので合流する。隣の奥さんは1歳の子と帰宅し、妻は9ヶ月の子を連れて買い物に出かけた。残りの子どもたちを私は散らかった部屋に上げて遊ばせながら、自分はその側で夕方遅くまで古書の整理のつづきを延々とやっていた。

じつはこの数日、アパートの管理会社の人があまりに不誠実で多々不満が生じ、心がササクレ立って仕方がない。
他方では、地域近所の人々や子どもがらみの友人がほんとうに親切で、しばしば交流がある。感じの良い人ぞろいなので非常にありがたいと思う。

運の良いこと悪いこと、多忙と余裕のないまぜだ。この生活がしばらく続くことだろう。
けれどずっと続くことはない。
子どもはすぐに大きくなるし、私も妻も、そして誰もが歳を取る。環境も変わるだろう。興味も仕事も変わるだろう。
何もかもが移りゆく、そういう人生のことを、調子の悪い時には特にじっくりと考えてしまう。
そしてやがて、調子の悪い時の「良さ」はこのことにこそあるとメタ的に考えたりもする。






2016年7月29日金曜日

コーヒーの飲み過ぎとパソコンのやり過ぎは怖い

健康について書きたい。
いま私は38歳。筋肉量は足りないがほぼ健康体である。

しかし5、6年前、私はパニック障害や過換気症候群などの原因不明の体調不良で苦しんでいる時期があった。
とくに夜中に酷いのだ。キツい。とても嫌な辛さがあった。
生活にそれなりのストレスはあったが、それだけが原因ではなかった。

最初、どうしてもそうなる原因がわからなかった。
こういうことはなかなか、お医者さんもインターネットもぴたりと教えてくれることがないからだ。結局、自分のことは自分で解明しなければならないのである。
経験を積んで、疑似科学で現実に挑むのだ。

その後、自分なりに探り、いくつかの原因が徐々に浮かび上がった。
工夫を重ねるうちに、3年くらい前からは、パニック障害も過換気症もまったく起こることはなくなった。

私の場合、以下のような明らかな原因に辿りついたのだった。

1.コーヒーの飲み過ぎ
 →夜中に突然の強い動悸に襲われ、ガバッと跳ね起きる。

 コーヒーは若い時には1日10杯、多いときは15杯ほど飲んでいた。その頃はなんともなかった。
 夜中の体調に不具合が出て、もしかするとコーヒーかも、と思ったときには絶望的な気分になった。
 こんなに好きなのに。
 テレビでも雑誌でも、コーヒーは心身によいと言っているのに。
 しかし、個人的な実験を繰り返してみて明らかになった。主犯人は、どうあがいてもコーヒーだった。
 やがて飲み方を変えた。
 飲むのは日中4杯まで。午後8時半までならば問題が起きることはまずない。
 肝臓で1日あたりのカフェイン分解量のキャパシティが決まっているのだろうし、分解しないまま寝てはいけないのである。
 血中に毒としてのカフェインがあって、たぶん深夜、心臟に負担をかける(アルコールも似たようなものかもしれない)。
 コーヒーに限らない。カフェインが入っているもの全般だ。緑茶、紅茶、青汁、ドリンク剤、ココア、チョコレートも夜はNG。
 お酒を飲んだあとと同じように、コーヒーのあとにも水をよく飲むのがよいようだ。

2.ドライアイや目の疲れ
 →夜中に嚥下障害を引き起こし、まるで呼吸困難のような焦りと苦しみを感ずる。

 ついつい、仕事や趣味で2、3時間ぶっ通しでパソコンをやり過ぎたり、さらにテレビを見たりしてしまう。あるいは、5、6時間ぶっ通しで熱中してしまう。
 しかし、ナイーブな眼は過酷な労働に耐えられない。

 眼は、目を動かす筋肉であろうか、奥でノドの嚥下動作をする筋肉と何かつながっているみたいなのである。
 それに眼は、外部に突き出た脳とも言われるように、脳神経と直結しているのだから、酷使するのは精神にも悪い。 
 本当は、パソコンやテレビを付ける際には、30分ごとに目をしっかり休めるのがよい。

3.寝ぎわの考えごと
 →脳がうまく眠りにつけず、夜じゅう考え事を続けたり夢を見続けるような寝方になってしまう。途中で目も覚める。

 悩ましい考えごと、特に答えの出ない思考は、日中に行なうべきである。
 寝際のウォークマン(音楽、英単語など)も避けた方がよい。
 夜は心身を休める時間だ。寝際は、ただただリラックスするべきなのである。
 幼子が優しさに包まれて安心して瞼を閉じるように、一切の思考する煩わしさを捨てて眠るのがよい。

4.運動不足
 →身体の末端部にも、内臓にも、血流が滞ってとにかく「非常に」よくない。

 加えて気温が低かったり、食事を十分に取っていなかったり、逆にとりすぎたりすると、さらに身体はバランスを崩す。
 私は以前、パニック障害が日に日に悪くなり、過換気症候群(過呼吸)になって救急車のお世話になったこともあった。
 その頃、ほとんどパソコン漬けと読書の日々だった。

 柔軟体操とか、散歩とか、部屋の掃除とかちょっとした家事くらいは誰もがするべきである。生きているとはそういうことなのだ。無理は禁物だが、一日の終わりには十分疲れているくらいがちょうどよい。
 人間の体はそういうふうにできている。らくをして得することは何もない。体は、使わないだけ死に近づくと心得ていただきたい。
 寝際には柔軟体操が効果的で、私は「自力整体」というものに一時期はまって、それを我流に変えて今も続けている。
 
5.空腹や過食
 →身体がバランスを崩す。
 
 私の場合、夜はエネルギー摂取を少なくした方がよい(妻は逆であるから、人によって違うが)。
 糖分や炭水化物の摂取は夜を避ける。空腹過ぎたり、エネルギーを摂りすぎると、内臓の活動が中止されて、空気で膨らむような不快感が現れるからだ。


以上、大切な健康についての個人的なポイントについてメモしてみました。
誰かの参考になれば幸いでございます。